青天を衝けはいよいよ明治編です。

真田丸の天正壬午の乱

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壬午の乱

天正10年の1582年は日本史の中でも一番ドラマチックではないでしょうか。

真田丸7話「奪回」「天正壬午の乱」のまとめ

壬午(じんご)とは、干支の19番目で、みずのえうま。西暦年を60で割って22が余る年が壬午の年となります。直近では2002年ですね。

 

甲斐、信濃を制していた名門武田氏が滅んだことで、その領土を巡り越後の上杉、相模の北条、三河の徳川が熾烈な争いを繰り広げたのです。

天正10年(1582年)3月~6月

~撤退する織田家臣たちと徐々に動き始める周辺国~
3.11:武田勝頼が自害し、東国最大の戦国大名甲斐武田氏は滅亡を告げた。
3.29:信長による武田遺領の地行割りが発表
6.2 :本能寺の変
6.13:滝川一益が真田昌幸に上野沼田城を返還
6.16:真田昌幸が岩櫃城を確保
6.18:森長可が美濃国金山へと出発
6.19:滝川一益と北条氏直の両軍が神流川で激突。一益は箕輪城に敗走する。
6.21:滝川一益が小諸城入城
6.27:滝川一益、人質を連れて出発
6.28:滝川一益、木曽谷を通過。木曽義昌は人質を預かる。

天正10年(1582年)6月~7月の動き

~いったん西へ行く家康と信濃で激突する上杉・北条~
6.4 :家康が岡崎へ帰還する(伊賀越え)
6.11:北条氏政・氏直が本能寺の変を知る。
6.12:北条が軍勢を召集する。
6.14:家康が明智光秀討伐で鳴海へ出陣する。
6.19:家康が羽柴秀吉より明智光秀落命の知らせを受け、岡崎城へ帰還する。
滝川VS北条・・・神流川の戦い
6.末:上杉景勝が南下し、北信濃に出陣する。真田昌幸が上杉氏に従属する。
7.9 :家康、甲府に入る。
7.12:北条氏直が信濃に進攻し、佐久・小県郡をほぼ制圧する。
真田昌幸が上杉氏から離反し、北条氏に従属する。
7.14:北条軍は川中島へ軍勢を進め、千曲川で上杉軍と対峙する。
7.19:真田昌幸を残留させ、北条氏直軍が川中島から撤退する。

天正10年(1582年)7月~9月

~越後へ撤退した上杉と大軍北条に寡兵で挑む徳川~
7.14:家康が酒井忠次に判物を与える。
7.29:北条氏直が甲斐を目指して南下する。
家康高島城から撤退する。
8.上:上杉景勝が越後に引き揚げる。
8.1 :北条軍が諏方に進攻する。
8.8 :家康は甲府から新府城へ移動する。
8.9 :上杉景勝が春日山城を出陣する。
8.12:家康家臣の鳥居元忠らが黒駒で北条氏忠・氏勝軍を撃破する。
8.中:木曽義昌が徳川方に帰属する。
9.1 :上杉景勝が新発田城攻略を断念し、新発田茂家の追撃に敗北を喫する。

天正10年(1582年)9月~10月の動き

~両軍とも厳しい状況を迎え、和睦締結へと向かう~
9.28 :真田昌幸が正式に家康に従属します。
10.10:北条氏直、真田昌幸から手切れを通告される。
真田昌幸が佐久郡の北条方国衆を攻略する。
10.下:真田、依田軍が碓井峠を封鎖する。
10.29:徳川・北条両氏の和睦が成立する。

最期は、徳川・北条が和睦し乱は収まります。

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