大河ドラマ2020年「麒麟がくる」でキャスト太原雪斎を演じるのは伊吹吾郎さんです。
今川義元が仏門に入っていたころからの軍師・教師であり、やがて幼少期の徳川家康を指導することになる『黒衣の宰相』太原雪斎。
雪斎の死後、武田信玄の軍師であった山本勘助が「今川家の事、悉皆坊主(雪斎)なくてはならぬ家」。
家康も「義元は雪斎和尚とのみ議して国政を執り行ひし故、家老の威権軽し。故に雪斎亡き後は、国政整はざりき」と評したという話ですから、相当有能なスタッフであったのは確かでしょう。
義元の下で織田信秀と戦い、織田方を壊滅させるに至るのですが、その有能な軍師を演じるのは大河ドラマの常連である伊吹吾郎さん。
太原雪斎の人生と、演じる伊吹吾郎さんの魅力について紹介します。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
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今川義元の軍師として戦で活躍し、のちには幼き徳川家康の師となる太原雪斎。
1496年に生まれた彼は、1522年に義元に会ったといわれております。
仏門に入った義元の教育係を務めた後、京都五山の建仁寺で修行。このころから秀才として将来を嘱望されたといわれております。
義元の父の氏親が雪斎に政治顧問になるよう求めていたのですが、2度とも辞退。
しかし氏親と義元の兄たちが相次いで亡くなると、雪斎は義元側について家督争いを鎮める役割を務めます。
その後は義元側の軍師として活躍し、1537年、関係が悪化していた武田信虎(信玄の父)と同盟を結び、北条氏を撃破。
1546年には松平家(後の徳川家)の救援を名目に大軍を率いて出撃、1548年には織田家を第2次小豆坂の戦いで撃破します。
翌年には三河安城城を攻めて、今川の配下でありながら織田家に囚われていた松平竹千代(徳川家康)を奪還。
安城城を奪われたことにより織田家の勢力は一気に減り、今川家は西三河の支配権を得て、改めて松平家を配下にします。
さらには1554年、武田信玄、北条氏康、義元の間で交渉を続け、三国同盟に尽力します。
三国同盟成立の結果、今川家は西の攻略に集中しやすくなりました。
その一方で、僧侶としても活躍し、1545年には高僧を招いて駿府に臨済寺を設立、家康の教育係も務めております。
さらには1553年、今川家の分国法である今川仮名目録33か条の追加21カ条の制定にもかかわります。
また臨済宗を中心とした領内における寺社・宗教の統制や、在来商人を保護する商業政策なども行ない、今川氏の最盛期に大きく貢献しております。
1555年閏10月10日に、駿河長慶寺においてなくなりました。60歳でした。
雪斎の死後、義元を補佐できる十分な重臣は見当たらなくなり、これが桶狭間の戦いで義元が討ち取られる遠因になったとも言われています。
義元が仏門に入ったころから、雪斎は義元の教師のような存在だったわけです。
そして今回も雪斎を大将にする形で、義元は第2次小豆坂の戦いで織田信秀の軍勢を打ち破ることになるのですから、まさに雪斎は義元の片腕というべき存在だったのは確かでしょう。
雪斎が亡くなる1555年まで、雪斎は義元の片腕として活躍をつづけ、ドラマで描かれる第二次小豆坂の戦いで織田方を打ち破るわけです。(公式ガイドブックでは『痛み分け』と書かれていますが)
第二次小豆坂の戦いのあたりは、光秀が百姓に変装して織田方の状況を見るのを中心に描かれ、義元と雪斎の描写はあまりないと思いますが、
信秀が戦のけがで病気になりかけているのを光秀は見届け、織田の次は今川が天敵になるのではないかと光秀は見る物と思われます。
勿論今川家は由緒正しく、貧乏公家や僧侶を引き入れて華やかな文化を駿河にもたらすあたり、光秀は一目置き、そこの寺も統率している太原雪斎のことについては、やがて興味を持つものと思われますが。
4話では光秀が農民の菊丸と薬売りの百姓に身をやつして尾張の居城・古渡城へ潜入しますが、その時はまだ雪斎の存在は解っていないのでしょうね。
「この紋所が目に入らぬか!」
里見浩太朗さんが徳川光圀を演じた水戸黄門で、伊吹吾郎さんが渥美格之進の役を演じてこのお決まりの台詞を言うシーンは印象的な人も多かったと思われます。
ちなみに格之進役は17年間も演じてきていたとか。
時代劇中心に活躍する彼ですが、他にも2009年の『侍戦隊シンケンジャー』で主人公たちの保護者役・日下部彦馬役でレギュラー出演しております。
それまでは中高年層のファンが多かったのですが、撮影中に外食した際、子供たちから激励の言葉を受け、驚いたそうです。
彼は1946年1月2日、北海道生まれ。
1966年第7期生東宝ニューフェイス入り、東宝俳優養成所に入所します。1968年にフリーとなり、テレビドラマ『さむらい』でデビュー。
1969年、さいとうたかをさんの劇画を原作とするテレビ時代劇『無用ノ介』(日本テレビ)のオーディションを受け、主役に抜擢されます。
さいとうさんは伊吹さんについて「風貌があまりに劇画的」だったと語っているようです。
1969年7月、新国劇に入座。同年10月、岡田茂東映映画本部長から「風ぼうがいい。時代劇と現代劇の両方に出てもらう。
次世代の東映を担うに足るスケールの大きさを感じる」と惚れ込まれ、東映と映画のみですが専属契約を交わします。
東映移籍第一作は『五人の賞金稼ぎ』で、二作目の『殺し屋人別帳』は、渡瀬恒彦さんの主演デビュー作として知られます。
ですが、この作品は岡田と天尾完次両プロデューサーが、渡瀬+伊吹のダブル主演によるバディムービーとして企画したものといわれています。
以降は東映作品を中心に出演。東映作品では「仁義なき戦いシリーズ」などが知られます。
テレビドラマでは『必殺仕事人』(ABC系列)、『花と狼』(フジテレビ系列)などに出演したほか、土曜ワイド劇場(テレビ朝日系列)の人気シリーズだった天知茂さん主演の江戸川乱歩の美女シリーズでは異例の3度に渡り犯人役で出演しております。
共演した三田村邦彦さんは伊吹さんについて、決して人の悪口を言わない、また先輩風を吹かせることもなかったと話しております。
そして1983年から、『水戸黄門』で17年にわたり渥美格之進役を演じます。
レギュラー抜擢以前の第1部(第26話、1969年)からゲスト出演しており、2000年にレギュラーを降板してからも度々出演しているのです。
『水戸黄門』のレギュラー降板後、バラエティ番組にも出演するようになります。
しかし「真面目で堅物」というイメージ通りの人柄や不慣れなことを逆手にとり、「ぎこちない作り笑顔で、台本の進行コメントやカメラ前に出されるカンニングペーパーを、大仰な芝居口調で読むMCぶり」や「フリートークでの悪戦苦闘ぶり」が逆に人気を呼んだといわれています。
中でも2007年4月から放送された『環境野郎Dチーム』(フジテレビ)では、Dチームリーダー兼MCとして「ブッキー」の愛称で親しまれたとか。
2004年大河ドラマ『新選組!』でも、義侠心と人望にあふれるものの、芹沢鴨の横暴に我慢できず壬生浪士組(後の新選組)と袂を分かつことになる粕谷新五郎を演じた伊吹さん。
大河ドラマは『軍師官兵衛』
義元と雪斎はトップとスタッフという関係ですが、光秀は雪斎のことについてはよく知らなかったものと思われます。
しかしながらこれから先、光秀が織田の元に旅立つときに、雪斎のことは織田を介して知っていくのではないかと思われるのです。
後の桶狭間の戦いで義元が討たれたのは、雪斎が亡くなった影響もあるのでしょう。
光秀は義元の陰に雪斎があると知っていく中で、義元が討ち取られた時、『麒麟がくる』世の中を目指すには有能な人間を生かす力量も求められることを知るのでしょうね。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
NHK大河ドラマをこよなく愛し毎週楽しみに視聴しています。
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