大河ドラマ2020年「麒麟がくる」でキャスト筒井順慶を演じる駿河太郎さんと筒井順慶を紹介します。
大胆な松永久秀とは真逆なキャラクターで、正直「麒麟がくる」で登場しなければ知らない武将でした。
駿河太郎さん演じる筒井順慶を視聴しながらどのような武将だったのかを知ることができますね。
さて、筒井順慶はなんと2歳で家督を継ぎました。当主になってからは、諸国の武将と相対しつつ、国を治めてきた武将です。
品があり駆け引きにもたけていた武将とも言われています。「麒麟がくる」初登場は32話でした。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
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戦国三大梟雄の一人である松永久秀と争いつつ、最終的には久秀に代わって織田信長に重用され、「本能寺の変」ののちは秀吉に加担して大名となる筒井順慶です。
筒井順慶と細川藤孝が明智光秀から離反したことが、山崎の戦における光秀の敗北を決定づけたといわれています。
実は『洞ヶ峠を決め込む』『元の木阿弥』『筒井順慶を決め込む』という言葉は筒井家から出たといわれています。
新興勢力でありながら、最終的には松永久秀をしのぎ、織田信長や秀吉に重用されるのが筒井順慶です。
「光秀さんとの会談では、落ち着いているように見えた順慶も、頭の中は高速回転していたはず(笑)。どう取り引きすれば自分に有利に働くか?損をしないか?一瞬の判断を間違えば、筒井家にとって大きなダメージになるかもしれない。おそろしい世の中ですね」(駿河太郎)
『麒麟がくる』では元亀元年(1570年)に順慶と光秀が今井宗久の取り計らいで初めて会ったように描かれていました。
しかし、史実では順慶が光秀の仲介で織田信長の家臣となったのは元亀2年(1571年)10月25日です。
そうなると、それより前に順慶が信長と幕府の重臣であった光秀に取り入った可能性は十分に考えられます。
ドラマでは幕府の重臣で、織田信長からの信頼も厚かった明智光秀を順慶は当初から一目置いていたように描かれています。
⇒麒麟がくる32話「反撃の二百挺」のあらすじ(ネタバレ)と感想
新興勢力の順慶が、土岐源氏の血を引く光秀にどうやって接したのかはわかりませんが、利発であった光秀を順慶が当初から一目置いていたのは事実でしょう。
この時、筒井順慶の宿敵であった松永久秀も、佐久間信盛を通じて信長の家臣になったため、11月1日に筒井順慶と松永久秀は和解したといわれています。
のちに順慶は光秀の配下となっており、教養人として意気投合する間柄にもなるのです。
筒井順慶は天文18年3月3日(1549年3月31日)に生まれました。筒井家は興福寺一乗院の有力信徒が武士化した家です。
天文19年(1550年)、父が28歳で病死したため、叔父の筒井順政の後見の元、2歳で家督を継ぐこととなりました。
(この時に順慶の父は、身代わりとして「木阿弥」という坊主を3年間おいて敵の目を欺いており、それで『元の木阿弥』というのです)
筒井家は同じ新興勢力であった松永久秀と対立していました。当初は居城である筒井城を奪われながらも、永禄9年(1566年)に奪還しています。
この時に京都の春日大社に行き、出家して藤政から、『陽舜房順慶』と名乗ることになるのです。
その後も松永久秀との対立は続きました。
当初から大和国を取り合う宿敵であり、いったんは信長の配下として和解しつつも、最終的には松永久秀を討つことになる順慶です。
松永久秀は足利義昭に背いたり、かと思えば反信長同盟についたりする背腹定まらない武将でしたので、双方が織田信長の家臣になっても2人が相容れる余地はなかったのでしょうね。
ドラマでは順慶がだんだん信長のもとで重用され、不満を抱いた久秀が信長から再び離反し、破滅への道を突き進むようです。
元亀2年(1571年)10月25日、順慶は明智光秀を介して信長の家臣となり、久秀も信長の家臣となったので、2人は和解しました。
しかし足利義昭が信長に背き、信長包囲網ができると、松永久秀は足利義昭方につき、筒井順慶は織田信長方につくことになるのです。
天正3年(1575年)2月27日、信長の娘か妹を妻に迎えた後、天正4年(1576年)5月10日、光秀を使者に迎えて領地大和国を安堵します。
同時期に光秀の配下となるのです。
同年に明智光秀が重病になると、興福寺の一乗院で僧侶7人に、光秀の回復を願って祈祷させています。
そして天正5年(1577年)、松永久秀が再び信長から離反すると、順慶は討伐隊の先鋒を務め、ついに久秀を討つことに成功します。
大和国はこうして平定されるのです。
ところが、本能寺の変が起こると、順慶は明智光秀につくか木下藤吉郎(秀吉)につくかで迷うことになります。
光秀のほうが上司でもあり友人でもあったので親しかったのですが、最終的には秀吉につくことを決意します。
明智光秀は天正10年(1582年)6月13日、山崎の戦いにおいて大和国・洞ヶ峠に布陣しました。
ですが、結局順慶は動かず、筒井と細川藤孝が離反したことが、光秀の敗北を決定づけました。
(順慶が洞ヶ峠で光秀・秀吉の戦いを見守っていたというのはフィクションです。ですが、これにより『洞ヶ峠を決め込む』という言葉ができたといわれています。)
山崎の戦いの後、秀吉に会って忠誠を表明した順慶は、7月11日に養子の定次を人質として秀吉に差し出しました。
この辺りから順慶の胃病がひどくなり、小牧・長久手の戦いで出陣した後ほどなく病死します。36歳でした。
後をついた定次は悪政を敷いたとされ、それをとがめられて1615年に切腹します。筒井家は江戸時代に取り潰しとなるのです。
ドラマでは光秀と順慶が初めてであった時に秀吉も同行していました。
最終的には順慶は明智光秀に背き、秀吉につくのですが、この時秀吉は順慶の参陣の遅さを叱責し、それが順慶の体調を崩す一因になったといわれています。
気が合う人間ではなかったというのが本当のところでしょう。最終的には胃病で順慶は死ぬことになるのです。
友人であった明智光秀を裏切って秀吉の家来となったのは、順慶にとって相当なストレスになったことが容易に想像できます。
もともと筒井家は、興福寺の有力門徒が武士化した一族とは先ほど書きました。
興福寺は筒井家を生み出した源であると同時に、その経済力と軍事力を生み出す原因となったものと思われます。
足利義昭はもともと興福寺一乗院の高僧でしたから、当初から義昭と順慶は顔見知りだったかも知れません。
実際に順慶が久秀と対立していたころは、義昭は順慶に接近し、九条家の娘を養女として順慶に嫁がせたといわれています。
駿河太郎さんは1978年生まれで落語家の笑福亭鶴瓶さんの息子です。
当初は『sleepydog』のボーカルとして活躍していましたが、30歳を機に俳優に転向します。
2011年4月からヤマキのめんつゆのCMで、鶴瓶との「親子共演」が実現しています。
2014年10月には割烹白だしのCMで、再び共演していますね。
2013年のTBSドラマ『半沢直樹』で父親の鶴瓶とドラマでの親子共演が実現しました。
ですが、実際に現場で一緒になることはなかったといわれています。
(鶴瓶さんは自殺した半沢直樹の父役、駿河さんは伊勢島ホテルの社長役です)覚えていますか?
NHK連続テレビ小説『カーネーション』で、尾野真千子さん演じる小原糸子の夫・小原勝役が出世作になったといわれています。
大河ドラマは『龍馬伝』『平清盛』『いだてん ~東京オリンピック囃~』に続く4回目の出演となります。
また、2023年の大河ドラマ「どうする家康」では北条氏政役で出演が決まっています。
⇒駿河太郎が「どうする家康」で演じるキャストは「北条氏政」/出演映画
当初は僧侶として登場しつつも、最終的には興福寺のバックアップを受けて、信長に重用され光秀の配下となる順慶です。
本能寺の変の後、最終的には光秀から離反するわけですが、それが描かれるかどうかはわかりませんね。
ただ、興福寺をバックに持つ新興勢力として、光秀から一目置かれるのは確かでしょうね。
32話「反撃の二百挺」では鉄砲250挺を今井宗久から買うほどの経済力がありましたよね。
ドラマで本能寺の変の後の順慶が描かれるかどうかはわかりません。
ですが、どのように光秀の配下となるのか、駿河太郎さんの筒井順慶を視聴しながら楽しみたいと思います。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
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