大河ドラマ2020年「麒麟がくる」のキャスト細川藤孝と演じる眞島秀和さんをご紹介します。
細川藤孝は足利将軍家の側近として、将軍家に仕える武将でした。
しかしやがて足利義昭と織田信長の対立が深くなってくると、光秀と共に義昭から離反して織田信長方につきます。
本能寺の変以降は出家して『幽斎』と名乗りつつ、明智光秀と袂を分かちあいます。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
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「光秀との出会いのシーンでは、この瞬間から後々互いの人生に大きな影響を与える関係が始まったのだという思いがあり、緊張感のある撮影でした。長谷川博己さんとは同い年ということもあって以前から共演したいと思っていましたので、撮影はとても楽しいです」(眞島秀和)
本能寺の変以降は明智光秀も見限って豊臣秀吉方につき、戦国の世を生き延びて肥後細川家の礎を作った細川藤孝(元総理の細川護熙氏は彼の子孫にあたります)
何事にもまっすぐに熱く取り組む幕臣が細川藤孝です。
戦のやまない現実をどうにかしないといけない。その為にも武家の棟梁である将軍が中心となって世を収めるべきだと常々考えているのです。
13代将軍・義輝が暗殺されて以降、藤孝は義輝の弟である足利義昭を将軍にするべく奔走します。
藤孝の兄・三淵藤英の言うことも聞かずに突っ走ることもありますが、将軍家が弱体化する中でも、藤孝が目指す理想の社会は変わらないのです。
細川藤孝は1534年6月3日、室町幕府の幕臣であった三淵春員の次男として生まれ、管領の分家であった細川元常の養子となります。
当初は義藤と名乗っていた足利義輝の寵愛を受け、吉藤の名をとって『藤孝』と名乗ります。
1552年に従五位下兵部大輔に叙任されますが、やがて13代将軍足利義輝が暗殺されると、
兄の三淵藤英らとともに興福寺に幽閉されていた覚慶、
のちの足利義昭を連れて脱出。朝倉義景らを頼って義昭が将軍になることに奔走します。
そのころは貧乏公方と呼ばれた義昭に仕えていたこともあって、灯篭の油にさえ事欠くほどで、仕方なく神社の油をもらっていたとか。
織田信長が力を伸ばしてくると、藤孝は明智光秀を介して信長に助けを求め、信長の力で義昭は15代室町幕府将軍に就任します。
そして、幽斎は大名となった忠興の父として悠々自適な晩年を京で送り、1610年8月20日、京都三条車屋町の自邸で亡くなります。77歳でした。
剣術などの武芸を極め、なおかつ蹴鞠や和歌にも通じた文武両道の武将だったといわれ、のちに足利義昭が亡くなった後も葬儀を執り行う人間がいなかったことから、幽斎が葬儀を執り行ったといわれています。
足利義昭と袂を分かつことになっても、幕府忠義の士であったのは確かでございましょう。
本来藤孝と光秀が会ったのは、光秀が朝倉家に仕えていた時で、史実の2人はそれ程親しくなっていないとも思われますが、
「麒麟がくる」のドラマでは、若いころの光秀の資料が乏しいことや、本能寺の変から逆算しないという筋書きでストーリーを書くということになっております。
だからこそ、両者が若いころから接して意気投合していく、という筋書きになっていますね。
しかし、光秀と藤孝は、将軍・義昭を中心に世を治めていく同士でしたが、光秀が「本能寺の変」に向かっていく中で、藤孝は何かを決断するのです。
その演出を「麒麟がくる」でどのように表現するのか?27話ではわかりませんが、とても楽しみです。
18話「越前へ」では細川藤孝が朝倉義景に『光秀をかくまってほしい』と文を送っています。
藤孝は京に戻ると山城国などを三好家から奪還していきますが、義昭と信長の対立が激しくなると、1573年に信長に恭順の意を示します。
そして、足利義昭は京から追放されて事実上室町幕府は滅亡。そののちは山城国長岡の領地をもらうことになり、長岡藤孝と名乗ることになりました。
そしてそののちは明智光秀の協力者として活躍。1577年には光秀と協力して松永久秀を討ち取ることに成功します。
1578年、藤孝の息子・忠興を、光秀の娘・玉(細川ガラシャ)と政略結婚させます。そしてその後、丹後国の城主となるのです。
ところが、本能寺の変が起こると、細川藤孝は光秀の援軍要請を断り、出家して『幽斎』と名乗って隠居。孤立無援になった明智光秀は山崎の戦いで敗死することになるのです。
「明智(光秀)、始め(は)細川幽斎の臣なり」と記録にあることから、光秀と違って由緒正しい家に生まれた幽斎は、信長がいなくなったその時には、光秀の配下になることを嫌っていたとも取れます。
光秀の死後は秀吉に仕え、九州征伐にも参加。将軍側近だったということで文化人として千利休と共に重宝されます。
息子の忠興も、千利休の一番弟子となって行くのです。
しかし1598年に秀吉が亡くなると徳川家康に接近。石田三成が細川ガラシャを人質に取ろうとして自害に追いやったことも相まって、幽斎・忠興共に家康方につくことになるのです。
田辺城の戦いで1万5000人の三成方に対して籠城することになるのですが、相手方が利休の弟子が多いことも相まって戦闘意欲に乏しく、見事生き抜くことに成功するのです。
息子の忠興は関ヶ原において家康軍の戦法として戦い、豊前小倉藩39万5000石の領地を与えられます。長岡氏は細川氏に姓を戻し、長岡の姓は細川家の配下に与えられることになります。
藤孝は当初足利将軍家に忠誠をつくしますが、義輝が殺された後、弟の義昭を必死に脱出させて、貧乏暮らしを共にするというその忠臣ぶりは、三淵藤英と共に光秀の目に留まってくるものと思われます。
やがて細川藤孝の後継ぎである忠興が、光秀の娘である玉(細川ガラシャ)と政略結婚していくのでございますから、それだけ親しくなっていくのは確かですね。
おそらく王者が仁徳で統治できる『麒麟がくる』の世界を目指すということで、両者は意気投合していくのでございましょう。
ただ、由緒正しさの面から言うと、細川藤孝は室町幕府管領の分家である細川家の生まれ、光秀は土岐源氏の血を引くとは言え美濃の成り上がり者の配下という風に、
天と地ほどの家格の差があって、それも相まって藤孝は光秀と袂を分かつことになると思われます。
ただ、最終的に藤孝は尾張の百姓の生まれである秀吉の配下になるわけで、より家格の低い人間に仕える彼の気持ちはいかばかりであったでしょうか。やはり保身から?
麒麟がくるのクライマックスになると思しき『本能寺の変』以降、藤孝と光秀は袂を分かつことになるのですが、
これは由緒正しさのみではなく、同じ理想を持ってはいても、手段をたがえるという理由からになるのかもしれませんね。
大河ドラマは『天地人』『軍師官兵衛』以来3回目の出演となります。
『天地人』では豊臣英次役、『軍師官兵衛』では顕如役と比較的目立たない役だったのですが、今回は光秀の盟友で、文武両道の役割であるが故、その大役を務められるかどうかが試されるといえましょう。
『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』の高野役のように、モブ役も結構多く、バイプレーヤーとしての色彩が濃い眞島秀和さんですが、
『おっさんずラブ』では独身貴族を謳いながらも男性と交際するおっさんの役を演じるなど、エキセントリックな役も演じております。
彼は1976年11月3日、山形県米沢市生まれ。山形県立米沢興譲館高等学校卒業したあと、国士舘大学法学部法律学科を中退します。
1999年の映画『青〜chong〜』でデビュー。差別に苦しむ在日朝鮮人男性という難しい役を演じています。
2004年の映画『スウィングガールズ』では兄弟デュオの兄・高志を演じたほか、映画における方言指導を行っております。
その後はWOWOWのドラマWシリーズにおいて、『なぜ君は絶望と戦えたのか』の準主演など、衛星放送を中心に活躍しますが、『おっさんずラブ』は独身貴族で、基本クールながら時々感情的になる準レギュラーを演じて注目されるのです。
その後は映画『おっさんずラブ』にも出演しています。
光秀は土岐源氏の血を引き、藤孝は源氏の血を引く足利将軍家の側近であったということで、『麒麟がくる』世の中を理想としていたのはどちらも同じでございましょう。
しかし盟友となった光秀と袂を分かち、光秀は死に、藤孝は江戸時代まで生き延びたあたりは、藤孝の方が処世術には優れていたといえましょうか。
今のところはどちらも高い理想を持ちつつも、血気盛んながら思慮に欠ける両名といったところでしょうが、
それがどのようにして史実通りの性格になって、そして袂を分かつことになるのか、ドラマの行方を様子見ることにいたしましょう。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
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