大河ドラマ2020年「麒麟がくる」のキャスト三好長慶と演じる山路和弘をご紹介します。
それまで飾り物の将軍に代わって京の町を牛耳っていた管領・細川晴元を打ち破り、松永久秀を出世させて京の町を事実上支配するのが三好長慶です。
しかしながら草莽の生まれであった松永久秀を家柄にこだわらず出世させるも、やがて横暴と下剋上を許して三好家を弱体化させ、保守的な凡君として長慶は評価されてしまうのです。
和歌を好む教養人としての側面もあった三好慶喜を演じるのは、俳優だけでなく声優としても活躍する山路和弘さんです。
三好長慶とはどんな武将だったのか?そして演じる山路さんについて紹介します。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
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元々北条や毛利に比べると資料に乏しく、ましてや信長、秀吉、家康に比べると目立つこともない三好長慶です。
三好長憲は室町幕府管領の一族であった細川家の守護代・三好元長の長男として生まれます。
ところが元長が、元長を嫌う晴元の根回しによって起こされた一向一揆によって殺されたため、
これ以降、晴元と本永の対立の下地ができてしまうのです。
長慶は草莽(そうもう)の生まれながら有能であった松永久秀を抜擢。
(※草莽とは民間。在野。そうぼう)
名家に養子に行かせることもないまま重用するのです。
(織田信長も明智光秀や羽柴秀吉のような身分の低い人間を重用するにあたり、名家の養子に行かせたりしています。)
そして1551年7月に長慶は晴元を撃破。晴元は没落し、長慶が事実上京都を支配することになるのです。
その後三好家は摂津をはじめとする10か国を支配し、全盛期の北条氏康を上回るほどの領地を獲得することになり、
将軍や天皇の警護を務めることにもなるのです。
ところが1561年、弟が急死すると、和泉の支配が弱くなり、そこを六角氏に襲われて重臣・実休も戦死。
このあたりから長慶は病に侵されるようになるのです。
さらに1563年には長男が22歳で亡くなり、このころから精神面でも病に侵されるようになり、
1564年、松永久秀の讒言も受けて弟をも誅殺。そのことで後悔して、さらに病が重くなります。
そして1563年7月4日に死去。43歳。
長慶の死後、三好家は内乱に発展し、やがて後継ぎの吉継と久秀は信長方につき、
足利義昭を神輿に据えた信長によって三好家は滅ぼされることになるのです。
そして吉継と久秀も信長に背き、滅ぼされることになります。
信長が鉄砲を集団で用い、武田勢を倒した長篠の戦いから約25年前、すでに長憲は鉄砲を実践で活用。
長憲と対立していた、第12代将軍・足利義晴は、鉄砲の用心のため二重に壁を作り、間に石を入れた城を築いた。
キリスト教宣教師がもたらした医術などの先進的な技術を望んだ長憲は宣教師を手厚く保護。
家臣約70人がキリスタンとなり、長憲の居城・稲森山城はキリスタンの布教拠点として、ヨーロッパに知られるようになる。
長慶は身分卑しい久秀を身分にかかわりなく重用したことで、
自らの勢力拡大を図ったという点では信長に近い所がありますが、
久秀の腹黒さに気づかなかったことが、やがて自らの首を絞めてしまう一因になると思います。
将軍と対立した時に将軍を追放しなかったことや、和歌や茶の湯を好んだ教養人であるという点においても、
長慶は生真面目、悪く言えば旧体制的な側面があったと思われ、
松永久秀もなんだかんだで茶の湯の茶器を大事にするという面を受け継いでいったのだと思います。
上司を裏切ってでも京の町をしたたかに生き抜き、そして茶の湯や和歌を好んだ長慶や久秀の生き方は、
のちに教養人・常識人となる明智光秀に強く影響を与えていくものと思われます。
三好家の家紋は、『三階菱に五つ釘抜』と言われています。
元々三好家は源平の合戦で活躍した清和源氏の子孫である小笠原氏の分家筋とも言われており、
三階菱は小笠原家の家紋で、その由緒正しさを証明する表れだったといわれています。
釘抜は座金を紋章にしたもので、
『九城(くき)を抜く』つまり九つの城を亡ぼせるということで縁起がいいということで使用したといわれています。
三好家の城は、河内国讃良郡飯盛山(現・大阪府大東市及び四條畷市)にあった稲盛山城で、山城であったためやはり攻めにくく守りやすい城でした。
2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(160番)に選定されております。
中世の山城としては、かなり大きな部類に属し、強固な要塞でした。
全盛期には、南北に1200m、東西に500mに達し、70以上の曲輪が確認されています。
南北朝時代に南朝方によって建てられたとも言われており、やがて畠山、細川家の居城となって行きます。
細川晴元のころ、木沢長政の軍勢によって稲盛山城は支配されていたのですが、
一向一揆と飯盛山城の戦いにおいて長政の力が弱り、ついには三好長慶に討ち取られることになるのです。
長慶はそこを拠点に山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨などを支配し、
他に近江・伊賀・河内・若狭などにも影響力を持っていました。
しかしながら1563年8月に一人息子の三好義興が22歳で急死すると、
急速に長慶の力は衰退し、ついで翌年弟も安宅冬康も流言によって自殺させてしまい、
長慶自身も病に取りつかれ同年7月24日、43歳で亡くなりました。
その後三好義継や三好三人衆が飯盛山城を治めていたそうですが、
織田信長により摂河平定が行われると三人衆も軍門に下り、
飯盛山城は信長の家臣によって治められていたのですが、遊佐信教の反乱によって秋高が殺害されると、
これに激怒した信長の攻撃を受けて1576年に落城し、廃城となるのでした。
まとめると稲盛山城は
南朝方→木沢長政→三好家→信長の家臣→遊佐信教→廃城と、やはり目まぐるしく城主が変わったといえましょう。
大河ドラマは『軍師官兵衛』で毛利家に仕える外交僧である安国寺恵瓊役を熱演した後、
『いだてん〜東京オリムピック噺〜』にて、田畑政治が入社する朝日新聞社の当時の社長である村山龍平役を演じております。
つまり今回の『麒麟がくる』と合わせて2回連続大河ドラマに出演することになったのです。
俳優の傍ら声優としても活躍する山路和弘さん。
仮面ライダー剣で演じた烏丸所長の台詞『だが私は謝らない』は有名ですが、他にアニメ映画『バケモノの子』の猪王山役等、善側ながら食えない役回りも、悪役もこなしています。
1954年6月9日、三重県伊賀市生まれ。
三重県立上野高等学校卒業後、1977年に青年座研究所に第一期生として入所。1979年に劇団青年座に入団。
舞台、ミュージカルのほか、映画、テレビドラマなど俳優として幅広く活躍する一方、声優としても非常に数多くの洋画作品で吹き替えを担当。
2011年4月、『宝塚BOYS』の池田和也、『アンナ・カレーニナ』のニコライ・カレーニンの役の演技に対して、第36回(2010年度)菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞。
2018年1月、『江戸怪奇譚(たん)~ムカサリ~』、『喝采』の演技に対して、第59回(2017年度)毎日芸術賞(演劇・演芸・邦舞部門)を受賞。
2020年1月22日、女優・声優の朴璐美と結婚したことを自身のブログで公表しております。
そして2022年のNHK朝ドラ「ちむどんどん」で沖縄山原地区の共同売店の責任者前田善一を演じています。
曲者の松永久秀を配下に加えるほどの器の大きさを持つ長慶でありますから、
ドラマで久秀に気に入られた光秀が長慶に興味を持つのも当然と言えるのかもしれません。
後に長慶暗殺が企てられた際、図らずも光秀は久秀と長慶を助けることになると思うのですが、
鉄砲を受け入れるなどの柔軟性を持つだけじゃなく、和歌や茶を好む長慶・久秀主従に
光秀は非常に気に入ると思われるのです。
最終的には光秀は長慶・久秀とも袂を分かつことになるのですが、
その教養人プリは光秀の根幹に一生なって行くものとも思われます。
三好長慶にとって松永久秀は配下になりますが、息子の義継の時代になると急速に三好家は没落し、
さらには久秀も信長方についたり離反したりで、共に滅びの道を行くことになるのです。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
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