森山未來が若き日の五代目古今亭志ん生こと美濃部孝蔵を演じます。
そして、第19話(5月19日放送)の「箱根駅伝」では「志ん生の長男馬生」、「次男志ん朝」の三役を演じています。
“いだてん”の語り部であり、本編では狂言回しとしての役回りも持つであろう5代目古今亭志ん生こと美濃部孝蔵。
長い無名時代を経て結婚し、満州への移住とそこでの生死をかけた生活します。
そして東京オリンピック直前までの落語協会4代目会長就任等、明治後期から二度の世界大戦という激動の時代を生き、栄光を手にした者として、私たち視聴者に何を伝えようとしているのでしょうか。
美濃部孝蔵は1890年、東京市神田区神田亀住町(現・東京都千代田区外神田)の長屋にて、父・美濃部戍行(みのべもりゆき)、母・志う(しう)の五男として生まれます。
美濃部家は菅原道真の子孫と名乗る徳川直参旗本で、祖父は赤城神社の要職を務めていました。
しかし多くの士族がそうであったように、美濃部家も維新後没落。
父は士族への一時金をすべて使い果たして、巡査となり貧乏暮らしでした。
その中でも父に連れられ、寄席で売られるお菓子目当てに寄席通いをしておりました。
1897年、下谷尋常小學校に入学。しかし1901年、小学校卒業間際の11歳の時、素行が悪いため退学させられ、奉公に出されます。
奉公先を転々とし、朝鮮の京城(現在のソウル)の印刷会社にいたこともあるが、すぐに逃げ帰ります。
(9年後の1910年、韓国併合によって朝鮮は正式に日本領となります)
その後も博打や酒に手を出しながら放蕩生活を続けた挙句に家出。
以降は親や夭折した兄弟の死に目にも会わないまま、1907年頃に三遊亭圓盛の門で三遊亭盛朝を名乗りますが、この段階ではアマチュアでした。
その後師匠を変えて修行を続けながら、1921年9月に金原亭馬きんを名乗り、最高位の真打となるのです。
1922年に清水りんと結婚するものの、落語家の実力者にたてついたことで落語会を追われます。
のちに復帰するのですが、前座同然の扱いで食うものにも事欠き、愛想悪く周りに合わせられない性格も相まって、「死神」「うわばみの吐き出され」などのあだ名で呼ばれ軽蔑されるありさまでした。
1932年、再び3代目古今亭志ん馬を名乗り、このころからようやく売れ始め、1939年に5代目古今亭志ん生襲名。
1941年の独演会では客が大勢詰めかけるほど好評だったといわれています。
しかし太平洋戦争が長期化するにつれて彼も巻き込まれるようになります。
1945年には満州に移動、満洲演芸協会の仕事を請け負いましたがそのまま終戦を迎えて帰国出来なくなり、現地で引き揚げ船の出航を待ちわびながら生死ギリギリの生活を強いられます。
1947年1月12日、命からがら満州から帰国しました。
同月27日帰宅。帰国がニュースに取り上げられるなど注目され、後は一気に芸・人気とも勢いを増し、寄席はもちろん、ラジオ番組出演なども多くこなす大変な売れっ子となりました。
1957年には4代目落語協会会長に就任し、東京オリンピック前年の1963年まで務めます。
1961年に脳出血で半身不随になりますが、それにもめげず、1964年には自伝を刊行し、同年11月、紫綬褒章受章しました。
1968年、上野鈴本演芸場初席で最後の寄席出演をした後、1973年9月21日、自宅で逝去。享年83。
戒名は「松風院孝誉彩雲志ん生居士」。墓所は文京区小日向の還国寺にあります。
物語は1959年、5代目古今亭志ん生と名乗った老いた孝蔵の語り口から始まります。
やたら食事を家族に注意される描写がありましたが、これが脳溢血の伏線でしょうか。
旗本の生まれながら維新後没落し、貧乏者の子沢山な巡査を父に持った孝蔵は、幼少期から博打を売ったり、吉原に出かけて代金を踏み倒すなど無頼の日々。
文字通り、昔男がやってはいけないこととされていた『飲む打つ買うの三拍子』を頻繁に行っている有様でした。
そのせいで父親に追いかけられる描写もドラマでありましたが、史実ではすぐに家出しており、家族の死に目を見なかったということですから、父の出番はこれだけのようです。
ドラマでは吉原の取立人から逃げる途中で偶然寄席に逃げ込み、橘屋円喬を通じて落語に興味を持つという筋書きでしたが、、、
史実は幼少期から父に連れられて寄席に行っていて、当初はお菓子目当てだったのがやがて寄席に興味を持ったというのが本当のようです。
こちらのほうが現実的とみていいでしょう。
第1話から相変わらず無頼の日々を送る孝蔵でありますが、寄席に興味をもって頻繁に顔を出す一方、いよいよ始まろうとしているオリンピック予選会に興味を持つようになります。
やがて落語家として大成する孝蔵は、ストックホルムオリンピックでの出来事から何を学んでいくのでしょうか。
森山未來(本名同)は1984年8月20日、神戸市東灘区生まれ。
5歳からジャズダンス、6歳からタップダンス、8歳からクラシックバレエとヒップホップを始めますが、1995年の阪神淡路大震災を被災。
幸い家族や周辺は無事でしたが、これ以降複雑な思いを抱えながら生きていきます。
1999年、15歳の時に舞台『BOYS TIME』で本格にデビューします。
2001年、16歳の時に単発ドラマ『TEAM 2』でドラマ初出演します。
2004年の映画『世界の中心で、愛をさけぶ』で第47回ブルーリボン賞 新人賞、第28回日本アカデミー賞 新人俳優賞および優秀助演男優賞を受賞します。
2008年から2010年にかけて、NHK大阪放送局制作の阪神・淡路大震災関連番組に出演し、2008年にはチャリティロック・フェスティバル「GOING KOBE ’08」にも出演しております。
2010年に阪神淡路大震災15年特集ドラマとして作られた『その街の子ども』で主演を務め、放送文化基金賞本賞を受賞しております。
2010年3月に一般女性と入籍し、同年11月に第一子が生まれます。
2011年、主演映画『モテキ』が興行収入22億円を超える大ヒットになり、毎日映画コンクール男優主演賞などを受賞しました。
同月シディ・ラルビ・シェルカウイ演出振り付けの舞台「テヅカ TeZukA」にて初の海外公演出演を果たし、ローマを皮切りに香港・ニュージーランド・ルクセンブルク・フランス/ドイツ各都市などを回りました。
一人旅が好きなうえ、プライベートでハプニングに合うことも結構あったそうですので、これは慣れていたのでしょう。
11月に『北のカナリアたち』などで報知映画賞・日刊スポーツ映画大賞両賞で助演男優賞を受賞します。
2013年1月『苦役列車』でキネマ旬報ベスト・テン主演男優賞を受賞、同月エランドール賞新人賞を受賞します。
10月から2014年10月までの1年間文化庁から文化交流使に任命され、イスラエルのダンスカンパニーを拠点に滞在し通訳なしで活動していました。
イスラエルは旧約聖書の発祥の地で、ヘブライ語と呼ばれる独自の言語を使うだけに、彼の語学力の高さをうかがわせます。
2016年11月1日付で所属していたオフィス作からの独立を発表します。
読書好きで特に宮沢賢治・太宰治・寺山修司な好きなほか、漫画でも手塚治虫・水木しげる・横山光輝のファンだそうです。
母が神戸でダンススタジオ「モダンミリイ」を経営しており、本人もダンスライブ等を通して現在も関わりがあるといわれています。
NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の大ファンで、その縁あって今回同じ宮藤官九郎が脚本を務める『いだてん』に出演することになったといわれています。
寄席に頻繁に行きながらも、相変わらずいい加減な生活を続ける美濃部孝蔵は、マラソンランナーよろしく長距離通学をしている金栗四三を見て興味を持ちます。
まじめで頑張り屋な金栗四三を見て、彼が何を考えるのか。そしてどのように自堕落な生活から脱し、落語の世界で腕を上げていくのかが気になるところですね。
孝蔵も四三と同じで、尊敬できる師匠を持ちながら正反対の性格なんですね。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
NHK大河ドラマをこよなく愛し毎週楽しみに視聴しています。
ただ視聴するだけでなく「あらすじと感想」を紹介しています。
でもリアルタイムで見ることができない時は見逃し配信で見たり
時々は歴代の大河も視聴しています。
管理人の大好きな大河ドラマをまとめていますので見逃し配信
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