壇れいが大河ドラマ「麒麟がくる」で信長の母・土田御前を演じます。
エキセントリックな信長に可愛がっていた信勝(信行)を謀殺されながらも、織田信長や明智光秀の死後も生き延びて織田家を見守ることになる信長の母・土田御前。
戦国とは言え儒教の道徳が残っていた中で、自分の子が後継ぎをめぐって殺し合いをし、贔屓(ひいき)の信勝を殺されるという出来事に遭遇した土田御前は、一生絶望と諦観の中にいたでしょう。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
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信長や市の子供の面倒を見るなど、家族として・祖母としての役割を十分果たしたあたりは、保守的ながら理想の母親ではなかったのかと思います。
それでは土田御前の生涯と、檀れいさんの魅力についてご紹介いたします。
織田信秀の正室で、信長、信勝(信行)、市の母であった土田御前の生まれた年は正確にわかっていません。
信秀の死後は信勝とともに末森城に住み、コミュニケーションがとりやすかったこともありましょうが、
礼儀正しいエリートタイプであった信勝(信行)を可愛がり、うつけ者であった信長を嫌っていたとされています。
家督争いで信勝が信長に反逆した時は懇願して信勝を許してもらったといわれていますから、非常に可愛がっていたのは確かでしょう。
しかしこののち、信勝は信長によって謀殺。
悲しみと怒りにくれながらも、やがて信長や市と共に暮らすようになり、彼らの子供であった信忠ら信長の子と、茶々(淀殿)ら市の子の面倒をよく見たといわれています。
しかしやがて、本能寺の変で信長と信忠は自害。
明智光秀への恨みも抱えつつも、土田御前は信忠の弟・信雄の元に保護され、『大方殿様』と非常に尊敬され、640貫文を化粧料として与えられたといわれています。
貫文は当時の貨幣の単位ですが、石高に直すと1貫文=2石ですから、化粧品だけでも1280石分を与えられていた計算になります。
江戸時代の千石取りの旗本も顔負けのお金ですが、家族を次々になくした彼女への、信雄なりの祖母孝行だったのかもしれません。
しかし信雄が1590年に領地召し上げになると、信長の弟の信包に引き取られ、1594年に死去。
墓は三重県の四天王寺にあります。
土田御前は織田信長の母でもありましたが、史実でも『うつけ者』と呼ばれた信長。(信長はアスペルガーだったという説もあります)
いつも奇怪な服装で街を歩き回り、父・信秀の葬儀に至っては信秀の遺灰にお香を投げつけて去っていくという無作法を冒す信長を、母がドラ息子と嫌うのは当然なのかもしれません。
かたや信長の弟・信勝(信行)は礼儀正しいエリート。
儒教における長幼の序(年上の人間が優先される)の習慣は残っているとはいえ、土田御前は常識人である信勝を信秀の跡取りにしたかったのは当然なのかもしれません。
それがやがて、信行は信長に謀殺されてしまうのですから、母の怒りと悲しみは計り知れないものだったと思われます。
演じる檀れいさんが監督に『信長をいじめてほしい』というエピソードがあるそうですが、母の立場からすればそういう経緯をたどることになるのですから、そういうのも当然なのかもしれません。
信長と孫の信忠が本能寺の変で討たれた時の土田御前の心境は、非常に複雑なものであったと思われます。
岐阜県可児市、土田城址近くの土田御前の像。とにかく戦国時代の女性の記録とは非常に少ないので生誕が土田城近くなのかも定かではありません。
天正18年(1590年)の信雄の改易後は伊勢国安濃津の信包のもとに引き取られ、文禄3年(1594年)正月7日に同地で死去しました。
墓所は三重県津市の塔世山四天王寺です。
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元宝塚ヒロイントップスターで、日本アカデミー賞主演女優賞を取ったこともある檀れいさん。
宝塚時代は『楊貴妃の再来』とも言われました。
彼女は1971年8月4日、兵庫県温泉町生まれ。本名は及川まゆみ、旧称は山崎。
幼稚園時代に学芸会でほめられたことがきっかけで、高校時代にファッション雑誌の読者モデルを経験するなど、人前に立つ仕事に興味を持つようになりました。
兵庫県立浜坂高等学校を卒業。
1990年に宝塚音楽学校へ入学した後、1992年には最下位の第40位ながらも、宝塚歌劇団に入団します。
初舞台は雪組の『この恋は雲の涯まで』。
芸名は本名の『まゆみ』と同じ文字の『檀(まゆみ)』に由来し、『檀のようにしなやかな演技で何でもこなせるように』という意味を込め、これに中性的な名前の『れい』をつけたといわれています。
1993年に月組、1997年に雪組に移動し、1998年舞台『浅茅が宿』新人公演最後となる7年目で初めてヒロインに抜擢。
翌年は真琴つばささんの相手役として月組トップ娘になり、二度の中国公演に参加して、先ほども述べたように『楊貴妃の再来』『タン・リー』の愛称で親しまれるようになりました。
さらには、北京語でのソロ歌唱も披露。
2001年に真琴さんが退団した後は、特定の組に所属しない『専科』となり、『風と共に去りぬ』などの外部出演を得て、2003年には湖月わたるの相手役として、星組トップ娘役に就任。
ヴェルディのアイーダを元にした『王家に捧ぐ歌』のアムネリス役、『花舞う長安』の楊貴妃役などが当たり役となりました。
2005年に『長崎しぐれ坂』を元に退団。
退団後は2006年映画『武士の一分』で、日本アカデミー賞主演女優賞を取りました。
ドラマではバイプレーヤーとしてのイメージが強かったのですが、2010年にはNHKドラマ『八日目の蝉』でドラマ初出演を飾ります。
声の出演でもキャリアを上げており、『岩井光昭の世界ネコ歩き』ではナレーションを務め、webアニメ『幕末機関説 いろはにほへと』では坂本龍馬の妻・おりょうの声を当てております。
プライベートでは、2011年7月27日に及川光博さんと結婚しておりますが、2018年11月28日に離婚。
また、元宝塚歌劇団だけあって芸術や文化、特に食事にも関心が深く、NHK教育の『にっぽんの芸能』のほか、
日本テレビ系列の
『檀れいの詩的ドキュメント「アートと自分に出逢う旅」fromフィラデルフィア』、
『檀れい名匠の里紀行 手わざ王国ベトナムSP! 〜アジアの美と食のルーツに出会う旅〜』、
『檀れい初めてのスペイン! 魅惑のバスク…美食&絶景物語』
等、様々な芸術や食事を扱うドキュメンタリーにも、ナビゲーターとして出演しております。
また、TBS番組『美の最高峰 夢の競演 坂東玉三郎×檀れい』では、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんと共演を果たしております。
そのことも相まって、2015年2月26日には林芳正農林水産大臣(当時)指名で「日本食普及の特別親善大使」に任命されました。
ユネスコの無形文化遺産に認定されている日本食の普及を目的とする大使なのですが、料理界からの親善大使が多く、
文化人でも大学の学長や校長が指名される中で、芸能界から日本食の親善大使が選出されるのは珍しいことなのです。
大河ドラマでは2012年『平清盛』の待賢門院役以来、
史実の待賢門院もその美しさゆえに男との浮ついたうわさが絶えず、それが寿命を縮めました。
演じた檀れいさんの魅力は宝塚時代からの中性的な美しさだと思います。
麒麟がくるでの織田信長の母をどのように表現してくれるでしょうか?
光秀は信長の家来になるのですが、やがて2人は対立し、光秀は信長及び息子の信忠を討つことになるのです。
再び肉親を殺されることになった土田御前は、光秀をも憎むようになったのは想像に難くありません。
ただ、エリートタイプの織田信勝を可愛がっていた土田御前ですから、教養人であり常識人でもある光秀とは気があったのではないかと思われます。
インテリの光秀と、同じタイプの息子を可愛がった土田御前。2人がどうかかわっていくのかが見ものです。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
NHK大河ドラマをこよなく愛し毎週楽しみに視聴しています。
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