「ファーストサマーウイカ」(キャスト)が大河ドラマ2024年「光る君へ」で演じる「清少納言(ききょう)」を紹介します。
「清少納言」はどんな人物だったのかも分からなくても名前を聞いたことはあると思います。
「ファーストサマーウイカ」さんが演じる「清少納言」を「光る君へ」でどのように描いてくれるのか?とても楽しみです。
さて、「光る君へ」は、雅で華麗な舞台に素敵なキャストの皆さんが導いてくれます。あなたが大好きなキャストは誰ですか?
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この9話は「光る君へ」の最初の山場だと思います。
第6話「二人の才女」で登場する「清少納言」、まず驚いたのがその呼び方(発音)です。
「漢詩の会」が始まる前のナレーションで、「清・少納言」と区切っていましたね。私は初めて知りました。
清少納言という呼び方は「宮仕えの呼び方」で父親の姓、清原から取ったようで、清少納言の「清(せい)」とは実家清原氏のことですね。
今まで「せいしょう・なごん」と区切って読んでいました。正しくは「せい・しょうなごん」だそうです。
ただ、清少納言の本名は全くわかりません。
才女として名高い清少納言は紫式部のライバルとして引き合いに出されますが、実は面識はなかったようです。
というのも清少納言が宮中から去った後、紫式部が仕えているからです。
生誕は康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃)没しています。しかしながら、正確な生没年や本名は不明ですので推定です。
ゆねに謎多き人物なのです。
父は歌人である「清原元輔」の娘です。元輔は、様々な国の受領(国司の長官)を務めていますので、清少納言も同行した可能性もあります。
すなわち、家柄としては中流ですが、それなりの裕福な家庭だったと想像できます。母については不明です。
清少納言は、藤原実方、橘則光、藤原棟世と結ばれています。橘則光との間に子の則長をもうけますが、夫とはその後、離別します。
藤原棟世との間に娘の子馬命婦を産んでいます。
おそらく、宮仕えをするまでの間は則光の妻として則長など何人かの子供を育てていたのでしょう。
清少納言は、一条天皇の中宮・定子(内大臣・藤原道隆の娘。道隆の弟が道長)に仕えることになります。宮中での女房名です。
正暦4年(993年)頃とされていますので、27歳と当時としてはそれなりの年齢になっていました。
「清」は清原姓に由来するとされています。
「少納言」は官職少納言に由来するものですが、当時女房名に官職名を用いる場合は父親や近親者がその官職にあることが通例でした。
しかし、清原氏の近い親族で少納言職を務めたものはいません。「少納言」の由来は不明です。
NHK公式での紹介は、才気喚発で和歌の会などでたびたび学才を披露します。
一条天皇(藤原詮子と円融天皇の子)の中宮である藤原定子の女房になり、「清少納言」の名を授かります。
定子もまだ10代でした。
後に「枕草子」を書いて評判になります。ドラマでは「ききょう」と言う名で登場します。「枕草子」から感じるものがベースです。
愛嬌や温かみのあるキャラクターで、家庭を捨ててキャリアを優先します。ただただ真っすぐ自分の夢を追っています。
平安時代中期の自由でない抑えつけられた環境でももっと広い世界を見たい、自分を生かしたいと思った「ききょう」は稀有な存在だったのでしょう。
キャリアウーマンの先駆けですね。
枕草子は、定子が兄の伊周から献上された草下(冊子)を清少納言に渡したことから執筆が始まったとされています。
枕草子は、定子の暗くて悲しい出来事の記録はありません。常に定子の明るく華やかな人生を描いています。
道長についても好意的に記されています。やがて定子は出産がもとで亡くなりますがその記録もありません。
清少納言は定子の華やかさを日記として残す使命感が強かったのではないかと思います。「枕草子」は、一条天皇の中宮だった亡き定子を追懐(思い出を懐かしむ)するものなのです。
清少納言は中宮定子の女房として定子に尽くしますが、定子には暗い事件が起きてしまいます。
長徳2年(996年)定子の父である藤原道隆が亡くなります。さらに定子の兄である伊周と隆家が花山院との間で抗争事件を起こしてしまうのです。
その後、定子は出家し定子の母・貴子も亡くなってしまうなど立て続けに事件が重なりました。
長保2年(1000年)定子の死とともに清少納言は宮仕えを辞めています。
その後、どのような生活を送ったのかは不明で、一説には夫の就任地である摂津国に下ったとも言われています。
紫式部のライバルとしてよく名前が上がるのが清少納言です。では、紫式部は清少納言をどう評価していたのでしょう。
「奇をてらうばかりで、中身がない」と感じていたようです。紫式部は清少納言の「枕草子」を全否定したいかのようです。
ドラマではどのような描き方をするのでしょう。
実際、紫式部と清少納言は、年齢や宮仕えの時期も10年近く違うため、面識はなかったとされています。
紫式部が仕える彰子(同じく一条天皇の中宮)としては、我慢できないものだったのかもしれません。
それが、紫式部の清少納言批判につながった可能性もあります。要は立場が違うライバルですね。
このエピソードの史実を追った番組が「歴史探偵」で放送されました。清少納言をより深く理解することができます。
2024年1月15日「清少納言と枕草子」
⇒「歴史探偵」のキャストと放送時間、そして「光る君へ」の史実を知る。
道長の兄である藤原道隆が開く漢詩の会の講師にまひろの父・為時が招かれまひろも同席します。
その会で、同じ講師を務めるのが「清原元輔」で娘の清少納言(ききょう)を連れてきます。そこでまひろとききょうは対面するのです。
明るく闊達なききょう(清少納言)は、
胸が高鳴りますわ。大いに楽しみましょうね。
と屈託なくまひろに呼びかけていました。
この漢詩の会で「紫式部と清少納言の若き日の出会いであった」というナレーションが入りましたね。
⇒「光る君へ」第6話「二人の才女」のあらすじ(ネタバレ)感想。
「光る君へ」に出演する他のキャスト一覧はこちら
ファーストサマーウイカは大河ドラマ初出演です。
⇒ファーストサマーウイカが出演した「大河ドラマと朝ドラ」の作品名とキャスト名一覧。
ファーストサマーウイカが「光る君へ」を演じる演技に、多くの大河ファンが注目していると思います。
と言うのも、「清少納言」とは?と、平安時代は難しいと思っている大河ファンでも聞いたことはあると思います。
また「枕草子」と言う言葉も聞いたことはあると思いますが、詳しいことは分からない文学を不得意としている大河ファンには絶好のチャンス到来です。
ファーストサマーウイカのイメージはどちらかと言うと気が強いタイプに見えますよね。そのイメージが「清少納言」のイメージと一致するのか?
その一点に注目して視聴していきたいと思います。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
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