大河ドラマ2016年「真田丸」第4話「挑戦」のあらすじ(ネタバレ)と感想を紹介します。
真田昌幸が織田信長に対面できたのは丁度「本能寺の変」(1582年6月21日)の2ヶ月前のことでした。
第4話は、その2ヶ月前から始まります。真田昌幸は武田家家臣時代は武藤喜兵衛と名乗っていました。
家康もこの武藤には苦戦したそうで、家康と昌幸の対面シーンで描かれていますね。
昌幸と信繁は、信長がいる諏訪の法華寺に入りました。果たして信長は、徹底抗戦を唱えていた真田を許し、臣下に迎えるでしょうか?
待たされている間、信繁は庭で家康と鉢合わせしますが、信繁は家康と知らずに、徳川家の武器の手入れは優れているが真田の方が上と話します。
かつて三方ヶ原の戦いで武田軍に追い詰められた家康は昌幸に恨みを持っていました。ですが、目の前にいる若者の見識には感心しています。
そのころ信繁の姉・松は、梅にかくまわれていた武田家を裏切った小山田家の旧家臣で夫の茂誠と寺で再会しました。
一方、昌幸の前に信長の嫡男・信忠が現れます。
家康も同席し、信忠は昌幸が上杉に宛てた密書を突き付け、上杉との関係を詰問します。昌幸は無難に返答するも、家康に追及されて追いやられていきました。
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二人は控えの間に案内され、廊下から周囲を見渡します。葵の旗が並んでいるのは、家康が来ているからでしょう。
昌幸は、亡き武田信玄が軍配を振り、家康をとことん追い詰めた「三方ヶ原の戦い」を思い出します。
信玄から贈られた「武藤喜兵衛」時代です。
信繁はこの機会に、織田軍の備えなどを見て回ろうと境内の一角へ向かいます。弓立てに無数の弓が整然と並び、いかつい武将が点検しています。
さすが、天下の織田勢と信繁が感心していると、武将は、これは徳川の弓だと訂正します。
見事でござろう。
背後から聞こえた声に振り向いた信繁は、目の前にいるのが家康だとは知りません。
ただ…。わが真田は、もう少し先を行っております。弓立には、下に車を付けております。素早く大量の弓を運べますから。
と応えます。
家康がかすかに瞠目します。ちょうどそこに、信繁を捜して昌幸が来ます。
真田安房守殿でござるか。初めてお目にかかる。徳川家康でござる。
と家康があいさつし、続いて忠勝が名乗りました。昌幸も名乗ってあいさつし、息子の源次郎信繁でござると信繁を指します。
信繁が頭を下げます。親しく話しかけてきたのが、徳川家の当主だと思ってもみなかったのです。
昌幸は信長への貢ぎ物に迷っていて、家康を控えの間へと促し、相談を持ちかけたのです。
ここは馬ではいかがかな。
と、家康が提案します。
信濃は名馬の産地です。昌幸がなるほどと膝を打つと、家康は話題を変え「三方ヶ原の戦い」では手痛い目に遭ったと苦笑します。
武田軍に武藤喜兵衛という、えらく強い侍大将がおって、そいつにはほとほとと手を焼きました。
と。
すると、存じませんなと、昌幸は眉一つ動きません。
信幸は諏訪での信長と昌幸の対面が心配で、まんじりとしています。
深呼吸などしていると、松と梅が連れ立って裏木戸から出ていき、少し遅れて、きりが尾行していくのを見てしまいます。
松と梅は空き寺に入りました。その本堂に茂誠が身を隠しています。表の門で、作兵衛が見張りにたっています。
信幸が本堂に飛び込むと、松だけが座っています。茂誠をかくまっているはずなのだが、信幸が問い詰めても、松はとぼけています。
そこにきりが楽しげに入ってくるのです。「私たちね、三日に一度、ここに集まって、女だけの四方山話を…」
きりの話に松が調子を合わせ、梅も交えて年頃の娘らしい話題で盛り上がります。
信幸が本堂から出ていくと、須弥檀(しゃみだん)の裏で息をひそめていた茂誠がホッと肩の力を抜き安心します。
「父上が戻ってくるまでに、茂誠殿の行き先、決めておけ」信幸は不機嫌そうに作兵衛に言って立ち去っていきます。
⇒大泉洋(キャスト)が大河ドラマ「真田丸」で演じた「真田信幸」とは。
法華寺の廊下を、昌幸と信繁が、滝川一益に案内されて歩いています。いよいよ信長との対面です。
広間に入ると、いかにも昌幸も緊張して座し信繁は廊下に控えて待っています。ふすまが開き、まずは信忠と家康が入ってきました。
「わが父に会わせる前に、確かめておきたいことがある」信忠が二通の書状を掲げた。
一通は昌幸が信長に宛てて織田家への臣従を願った書状。
もう一通は上杉景勝に宛てた書状で、これも昌幸の筆跡で上杉の誘いにありがたいことだと答えています。
信忠が二通の書状の矛盾をつき、二心を疑ったが、昌幸は涼しい顔をしています。「方便でござる」
昌幸が諏訪に出仕している間に、上杉が小県の真田領を攻めないための布石の書状だ。と言います。
力ある国に囲まれた真田のような弱い国衆は、知恵をもって乱世を生き抜くしかありません。大事な書状が上杉に届かなかったのは、真田にとっては死活問題なのです。
「かくなるうえは、信長公には、上杉からわれわれを守り抜いていただかなくてはこまりますぞ」
昌幸が眼光鋭く迫り、信忠を圧倒するのです。次に家康は、気になる点があると昌幸に問います。
もしや昌幸は、上杉宛ての偽の書状を書き、織田の手に入るように策を講じたのではないか?、と・・・
大の戦上手である真田安房守昌幸は、上杉からも誘いが来るほど大物であると、われらに思わせようとしたのでは?。
と、実は、上杉は織田と和睦を望んでいて、家康にその仲立ちを求めて重臣・直江兼次が来ていると言います。
書状の真偽は、直江に尋ねれば明らかになるぞ。
と昌幸に言うのです。
昌幸は「確かめたければ、確かめるがよろしい」と一歩も引かずに家康と見つめあっています。時間が経過し、とうとう家康が読み違いだと認めてこの場は収まりました。
その後、信長を呼ぶため、信忠がいったん広間を出ます。
家康はにっこり笑って、
さすがは勇名をはせられた武藤喜兵衛殿。肝が据わっておられる。
と言います。
ついに、昌幸は信長に会うことになります。
知略で乗り越えてきた昌幸ですが、今や天下人に最も近い人物に会う瞬間はやはり緊張したことでしょう。
信長と言えども一瞬で人物を評価するのは難しいでしょう。
用意周到で息子の信忠や家康から昌幸の情報をインプットしておき味方にするだけの価値があるかの判断は事前にしていたのでしょう。
いわば対面はOKする儀式のようなものです。
会って家臣する気はないなどとケチなことを言えば信長の価値が低くなるのを昌幸は知っていたのかもしれませんね。
家康も昌幸を味方にしておいたほうが織田・徳川連合軍は有利だと思ったことでしょう。
武田勝頼が自害し、武田家が滅んだのは天正10年1582年4月3日でした。
本能寺の変は、1582年6月21日ですから、昌幸が信長と会って2ヶ月後には天下は激変しますが、もちろん昌幸は知らない訳です。
広間のふすまが開きます。姿を現した信長は、身にまとった雰囲気だけで周囲を凌駕(りょうが)するする存在感があります。
「真田安房守か」と聞かれ、平伏していた昌幸が顔を上げます。目が合うと、信長は昌幸の腹の中まで見通すように見つめてきます。
…よき面構えじゃ。
この一言で、真田は織田への服属が認められ、信長はふすまの向こうに去っていきました。そして、真田は、滝川一益の配下になるのです。
昌幸は廊下に控えていた信繁に言いおくと、今後の指示を仰ぐために滝川一益の居室に行きます。
「武田旧領のうち、上野一国と、信濃の小県および佐久郡は、それがしがじかに治めることになり申す」
一益が言い渡したが、一益はいわばお目付け役で真田ら国衆の領地は安堵されたに等しいという訳です。
昌幸がホッとしたのも束の間でした。「上野の沼田城と岩櫃城だけは、滝川のものといたす」
「しかし、どちらも、わが真田の要でございます」「これは上様のご意向である」信長の意向に勝るものはありません。
真田の力は、信濃・上野2ヶ国にまたがる所領を持つことで、他の国衆より一歩ぬきんでています。
二つの城の召し上げは痛手だが、小県の国衆をまとめる手配り一切を任されたのは収穫でした。
同じころ、信繁は、信長の印象を三十郎に語っています。思っていたより静かな人だが、眼光は龍のようで、射すくめられたら動けなくなりそうです。
そんな話をした直後、信繁たちは、信長が鬼の形相で、一人の家臣の頭を欄干に何度も打ち付けている姿を目の当たりにします。
その家臣が明智光秀だということを、信繁はのちに知るのです。信繁の前で屈辱的な仕打ちをされられている明智光秀という武将を見るのです。
鬼のような血相で光秀を叱っている信長、物静かな目をしている信長、どちらも織田信長です。
信繁は天下人に最も近い信長を見て、いやこの時は2つの顔を持つ信長を見てまだ見ぬ新天地を感じたのかもしれません。
⇒堺雅人(キャスト)が「真田丸」で演じる真田信繁(幸村)とは。
領地案泰という吉報を持って小県に戻ってきた昌幸だが、気の重い問題が二つありました。
一つは、戦国の世の習いとして、信長の本拠である安土に人質を出さなくてはならない事です。
姉上はいかがでしょう。
と、姉の松を説得する役を信繁は進んで引き受けます。そこには、信繁ならではの思いつき(知恵)があったのです。
当初、松は人質の話に難色を示しますが、人質とはいえ、松には家臣や女中などが随行します。
その中に茂誠殿を紛れ込ませます。
と、信繁が作戦を明かすと、松は即座に安土行きを決めます。ただし、茂誠と夫婦であることは隠さねばなりません。
さて、昌幸の二つ目の問題は、岩櫃城と沼田城を織田方に引き渡す件です。これは、城主として一大事ですね。
政治的に城を明け渡さねばなりません。辛い決断です。
「城を差し出し、人質を取られ・・力がないということは、これほど惨めなものか」昌幸は、内記にだけ胸の内をさらすのです。
沼田城と岩櫃城は、真田が激戦を制して手に入れた城です。そうです、武将ですから力で勝ち取った城なのです。
ことに沼田城攻略は、矢沢頼綱の功績が大きかった。昌幸は今回の不首尾を頼綱に詫びるのでした。
頼綱の落胆は大きいが、動揺を見せまいと、鷹揚にうなずきます。
「…あれが、上野で最も大事な城だと、信長が認めたということ。むしろ鼻が高いわ…」多分、頼綱は負け惜しみではなく、本音で語ったのではないでしょうか。
信長がほしい城は信濃から先を征するに必要な城で戦略的な重要ポイントであったのではないかと思います。
後日、昌幸は黒葦毛の馬を信長に献上し、早速、真田に礼状が届きます。昌幸から笑みが漏れます。
「信濃は名馬の産地だ」と家康から言われていたことを実行したわけです。優れた武将は「馬」を見る目が他の武将より秀でていなければなりません。
昌幸は信長の馬を見る目の技量を知っていたのかもしれません。そして献上するものを「馬」と言った家康にもかけたのかもしれませんね。
五月末、真田屋敷に一益が足を運んできます。
一益は室賀正武ら集まった国衆に対し、上杉や北条の侵攻があれば、織田勢が必ず守ると言質(げんち)を与えます。
また、小県を治めるにあたり、国衆のまとめ役として昌幸を指名します。これからは、信長の意向もすべて昌幸を通じて伝えることになります。
正武は不服だが、一益に逆らうのは信長に逆らうのと同じだと脅かされ、承服するしかありません。昌幸が次に踏み込むための序曲です。
織田信長の家臣である滝川一益からのお達しであるので室賀正武もしぶしぶ従ったのですが、これで名目的には国衆のトップに昌幸は立ったのです。
室賀正武の演じる西村雅彦さんがどのように演じるか?昌幸の永遠のライバルがここで差が付けられるさまをどう演じるか?楽しみです。
第4話「挑戦」では徳川、織田が揃いましたね。そして若い真田信繁はいろいろ学ぶことになりました。
真田の郷から出た信繁は天下一とうたわれる安土城を間近に見たくて、松を送り届ける役目を志願してついて行きます。
安土城の真田屋敷に到着すると、道の突き当りに安土城が威容を誇ってそびえています。その迫力に、信繁はどぎもを抜かれます。
信繁は安土に一泊し、あちこち見て回ることにしました。「セミナリオ」という神学校があり、誰もが市を開いて商いができる不思議な街です。
いくつもの顔を持つ信長と言う男に、信繁は興味が湧いてきます。その未明、天下を揺るがす事件が起きるのです。
天下人に最も近い存在になった織田信長は優れた武将ですが、知能に優れた政治家でもあったと思います。
軍事においては鉄砲を多用し、半農軍人から専門軍人を育て武田軍を破り勢力を広めてきました。
内政治はシステムを作り皆商売をやりやすくし地元を活性化していきます。よりどころである宗教も異文化宗教を取り入れ人々の価値観を多様化させていきます。
多分人事などの組織作りにもきめ細かな配慮があったと思いますが、良いものをすぐに取り入れる上司を持つとしきたりなど企業風土を守る古参の社員さんからは嫌われますよね。
そして、その古いしきたりを重んじる武将に信長の夢は絶たれてしまうのです。その武将とは、そうです明智光秀です。
次週は⇒大河ドラマ真田丸5話「窮地」のあらすじ(ネタバレ)と感想。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
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