2016年大河ドラマ「真田丸」でキャストの大泉洋が演じた真田家の嫡男「真田信幸」を紹介します。
真田信幸がどんな武将だったのか?兄弟が豊臣側と徳川側に別れて戦う「大阪の陣」はとても有名なお話ですよね。
「大阪の陣」後、父の昌幸の旧領に加え3万石を加増されて9万5,000石となり上田藩主となります。93歳でその生涯を閉じた「真田信幸」の真田丸での活躍を紹介します。
信幸を演じる「大泉洋」はクランク前に脚本の「三谷幸喜」に信幸の人物像を伺ったそうです。
その答えは…
「信幸は、父・昌幸に翻弄されつつも必死に食らいついていく。それは跡継ぎとしての自負があるからで、真田家のためなら何でもできる男だ」
との事でした。
三谷脚本の随所に信幸が迷いながらも突き進む姿を大泉さんの独特なキャラで笑わせてくれるシーンが度々登場しますよ。
真田昌幸の嫡男で、真田家の呼び名は源三郎です。ドラマの演出にも登場しますが、嫡男なのになぜか「源三郎」なんですね。
当時武士の嫡男なら「源太郎とか源一郎」とかなど最初に思いつく名をつけると思うのですがね。
ドラマでその解答が解りますよ。
さて、その源三郎は秀才だが、生真面目で慎重な男です。1歳違いの「信繁=源次郎」とは深く信頼しあっています。
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父・昌幸の采配に翻弄されながらも成長して源三郎。父の昌幸は諸大名を天秤にかけながらも、時流を見極めつつ生き残りを図ってきました。
「第一次上田合戦」では、上田城の昌幸と連携し戸石城を拠点に戦い、徳川軍を撃退します。
その後、真田家は秀吉に臣従します。
本能寺の変で世の中が一変しますが、その後の真田の戦い方が分かる「天正壬午の乱」をご覧下さい。
信幸は秀吉に従属した徳川家の重臣・本多忠勝の娘・稲(小松殿)と結婚し、徳川家との絆を強めます。
大泉洋が演じる「真田信幸」も準主役的な存在ですので第1話「船出」から登場します。
第1話は天正10年(1582年)1月から始まります。最強なる武田信玄が亡くなり勝頼の最期から描かれます。
真田家は武田家の一国衆でしたので、勝頼と共に武田家を再興する立場でいました。しかし、武田家は滅びます。
その原因は家臣達の裏切りでした。
弟の信繁が甲斐の国境あたりに布陣する敵情を視察していました。旗に記されていた「葵」の紋は徳川勢です。
しかし、信幸はその行動に慎重になるようにと注意します。なぜなら武田家の存亡をかけた戦いが今始まろうとしていたからです。
一人の軽率な行動が味方の足を引っ張りかけないからです。
信幸の几帳面な性格が分かるシーンが登場します。
⇒2016年大河ドラマ「真田丸」第1話 「船出」のあらすじ(ネタバレ)と感想。
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真田信幸は今でも長野県では有名人です。上田城は現代でも六文銭の旗印で観光地としても有名ですね、
豊臣と徳川の間を生き抜いた信幸は長生きしましたが、晩年は病気がちだったようす。
真田丸ではその覇権争いも描かれると思います。その時の信幸の行動心理をドラマを通して感じていきたいと思います。
史実として信幸が死去した際は、家臣のみならず百姓までもが大いに嘆き、周囲の制止を振り切って出家する者も続出したと伝わります。
百姓や町人も思い思いに冥福を祈る仏事を行ったとされ、家臣や領民にも慕われる名君であったのでしょう。
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