大河ドラマ2019年「いだてん」で上白石萌歌(キャスト)が演じた「前畑秀子」の人物像を紹介します。
前畑は日本人女性の水泳選手として頭角を現し、1936年のベルリンオリンピックで日本人女性として初めて金メダルを取った選手です。
(結婚後は兵藤姓になったため、兵藤秀子としても知られております)
1932年のロサンゼルスオリンピックでは0.1秒差で銀メダルに甘んじなければなりませんでした。
日本人女性最初の金メダリストとなる前畑(兵藤)秀子は、1914年5月20日、和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)で、豆腐屋を営む一家の家で生まれました。
紀ノ川で泳ぎを覚えたといわれています。
尋常小学校(現・小学校)5年生の時に50m平泳ぎで学童新記録を出し、高等小学校(現・中学校)2年の時には汎太平洋オリンピックに出場しています。
記録は、100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝しました。本来。前畑秀子は高等小学校卒業後、家業を手伝うはずでした(当時の習慣ではそれが普通)
ですが、水泳の才能を見抜いた学校長が両親を説得します。
そして、名古屋の椙山女学校(現代の名古屋三大お嬢様学校と呼ばれる椙山女学園)に進学して、学校長の支援を受けて専属のプール等で才能を伸ばしていきます。
しかし1931年1月に母が、6月には父が脳出血で亡くなり、相次いで両親を失いました。
1932年のロサンゼルスオリンピックで、オーストラリアのクレア・デニスと0.1秒差で敗北して銀メダルでした。
それ以降は両親がいなくなったため引退も考えました。
ですが、東京市長の永田秀次郎に涙ながらに説得され、選手継続を決意、1日に2万メートル泳ぐ猛練習を重ねていきます。
(なお、デニスも1931年に心臓弁の漏れで父親を亡くし、引退を考えていたようです)
1933年には平泳ぎの世界新記録を樹立します。
そして1936年のナチス政権下のベルリンオリンピックで200m平泳ぎでドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて1秒差で勝利します。
日本人女性で初めて金メダルを取得するのです。
この試合をラジオ中継で実況したNHKの河西三省アナウンサーの中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたため「スイッチを切らないでください」という言葉から始めたといいます。
河西アナは、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させました。
その放送は現在でも語り草となっており、レコード化もされているそうです。
1937年に引退した後、名古屋医科大学(現代の名古屋大学医学部)助手の兵藤正彦と結婚して兵藤姓となりました。
引退後は母校であった椙山女学園の職員としてスポーツ振興に努め、『ママさん水泳教室』なども開いております。
1964年11月の秋の褒章で紫綬褒章を受章しています。
1977年にはベルリンオリンピック最大のライバルだったゲネンゲルと再会し、一緒に50mを泳いだといわれております。
1983年に脳出血で倒れますが、リハビリで再び泳げるようになり、プールに復帰します。
1990年に女子スポーツ界から初めて文化功労者に選ばれた後、1995年に急性腎不全で80歳で死去。
母校にある椙山女学園には、前畑と、一緒にオリンピックに出場した小島一枝の銅像があるといわれております。
日本が満州事変と国際連盟脱退します。
さらには五・一五事件と戦争への道を突き進む中で田畑政治は何とか重苦しい雰囲気を打破しようと、オリンピック水泳部全種目金メダルを独占しようとします。
そのため、田畑はスター選手の高石勝男選手を人気に反して出場させないようにしますよね。
あまりにも周りを顧みない独断専行っぷりには反感を抱く人間も多かったであろうことは当然のことですね。
盟友の松澤一鶴等反発する人間も当然出てきますが、田畑政治の必死な思いに触れて、勝男も競技には出場せず、裏方で選手たちに指導していく役回りに徹していくようになります。
実際に政治は、選手たちが練習してゴールインするたび『記録更新だ』と叫んでいるあたりは、自分でストップウォッチを図るタイミングを捜査しているのでしょうか?
あえて結果を見ずに叫んでいるといったところなんでしょうね。鞭と飴を使い分けているというのか?
前畑秀子はそれにうすうす感づいているようでした。
一方、女子選手団が登場して、その中に前畑秀子や後輩の小島一枝もいるようです。
ですが、何しろ若い男女が同じ宿泊所にいるもんだから、コイバナが咲くのは当然のことですよね。
勿論年頃の女の子である前畑秀子は、オリンピック男性水泳選手にも興味を持ちます。
前年に両親を相次いでなくしているため、早く結婚して所帯を持って落ち着きたいという思いもあったのでしょうね。
同じくこの前年に亡くなった女性オリンピック最初のメダリスト・人見絹枝への憧れも持ちつつ、前々からスポーツへの思いを何れは捨てなければならないと思い、悲しい気持ちもあったのでしょう。
どうやら前畑秀子のロサンゼルスオリンピック決戦は31話に描かれるようですが、どのような形かになるのでしょうか。
それ以上に裏方のしょうもない描写が多いとおもいませんか?クドカンらしいですかね。
これから戦争がはじまると、戦争の中でスポーツやオリンピックがどう描かれるのか分かりにくいゆえ、ここで戦前のストーリーの最後のスパートを飾ってほしいものです。
第30話「黄金狂時代」8月11日放送の視聴率は5.9%と最低視聴率を更新してしまいました。
ついに5%台になってしまった「いだてん」はなぜ視聴者から見放されてしまったのか?オリンピックに関心がないのか?やはり分かりにくいのか?
個人的にはドラマのドキドキ感が少なく感動シーンがあまりにも少ない感じがします。それでも年末まで放送するのでしょうね。
NHK番組『その時歴史が動いた』で、人見絹枝同様メダリストとして取り上げられたのが前畑秀子です。
日本が戦争へと突き進んでいく中で、ベルリンが戦前最後のオリンピックとなり、その時に大きな美を飾っていくことになるのです。
その前にロサンゼルスオリンピックの挫折を経験して引退の表明をします。
ですが、永田秀次郎東京市長の涙ながらの懇願により再起を行うことになるのですが、それをどう描いていくかがポイントになるのでしょうねえ。
今まで人見の葛藤など、あっさりした描写が多かったので、ここは深く描いてほしい所ですかねえ。
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