大河ドラマ2021年「青天を衝け」第22話「篤太夫、パリへ」のあらすじ(ネタバレ)と感想をお届けします。
いよいよ慶喜の命令を受けて、パリ万博使節団として、パリに留学することになった渋沢篤太夫。
万博で蒸気機関・エレベーターなど様々なものに関心を示しつつも、展覧会に日本=幕府の展示物とは別に、
琉球=薩摩の展示物が出ていたことから、篤太夫は薩摩への不信感をあらわにします。
そして薩摩方の五代才助の暗躍の結果、幕府は日本を支配する人間ではないということで、幕府のフランスへの借款も流れることになるのです。
先週は⇒青天を衝け第21話「篤太夫、遠き道へ」の感想。東照大権現の遺訓とは?
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いよいよパリに到着した篤太夫たち。
そこの万博で、巨大な蒸気機関を目撃したり、エレベーターに乗ったりするなど、諸外国の最先端技術をじかに見ることになるのです。
当初は尊王・攘夷・倒幕を唱えていた篤太夫でしたが、万博で見た技術と軍事力は生涯忘れられないものになっていたものと思われます。
しかしながらその一方『理屈っぽい、怒りっぽい、骨っぽい』悪く言うと頑迷な水戸藩士の外国に対する強硬な姿勢、自身の経済力も考えず突っ張って値切りをしない武士たちに不安を抱くことにもなります。
やはりそこは、もともと豪農の生まれで、様々な品定めをしてきた篤太夫だからこそ感じられることだとは思いますね。
また、福地源一郎が警告していたモンブランという人物ですが・・・。
幕府側との交渉がうまくいっていないのが篤太夫にもよくわかっており、結果的にそれが幕府のフランスへの借款が流れる原因になっていくのであります。
『日本はドイツと同じ連邦国であり、幕府は薩摩よりちょっと経済力と軍事力があるだけ』とみられた結果と言えばそうなのかもしれません。
慶喜の弟・徳川昭武(民部公子)と篤太夫を含む使節団が長い旅の末、パリに到着しました。
パリ万博は1867年にパリで行われた、東洋・西洋最先端あるいは独特の製品を見せるための博覧会でした。
そこに、篤太夫をはじめとする幕府使節団は、西洋の技術の習得と軍制改革のためのフランスへの600両の借款のため、参加することになるのです。
この時に篤太夫は、御勘定格陸軍付調役の肩書を得て、通訳であったアレキサンダー・フォン・シーボルト(シーボルト事件の首謀者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの息子)の下でフランス語や西洋の技術について勉強していたのです。
昭武の付き人となった篤太夫は、特に杉浦愛蔵(譲)と親交を深めたように描かれていますが、本当のところはわかりません。
同じ昭武の付き人として、親近感はあったものかと思われます。
ただ、篤太夫は武蔵の豪農の生まれだったのが幕臣に養子入りしたのに対し、愛蔵は由緒正しい甲府勤番士(幕府直轄領であった甲府の城を守る役割などを務める)だったわけです。
態度物腰の差などで、篤太夫と愛蔵に悪感情がなかったとも言い切れません。
このドラマでは2人ともやがて明治政府に出仕し、家族ぐるみの付き合いをするように描かれていくのですが、愛蔵は43歳で肺病で亡くなってしまうため、親友を失った栄一の悲しみも描かれていくものと思われます。
一方、アレキサンダー・シーボルトは裏で薩摩とつながりがあったようにドラマでは描かれていますが、本当のところはわかっていません。
シーボルト事件によって父フィリップが日本から追放され、幼いアレキサンダーはその恨みを持っていたのかもしれません。
なお、この時に幕府方の展示物とは別に薩摩が、「日本薩摩琉球国太守政府」の名で幕府とは別に展示し、
独自の勲章(薩摩琉球国勲章)まで作成したこと、そのことに対して幕府が抗議し、結果的に薩摩と幕府の両方がパリ万博で展示物を出したということは事実のようです。
これは薩摩の強い経済力を示すと同時に、幕府が日本の正式な支配者ではないことを証明するデモンストレーションとして大きな効果がありました。
実際幕府方の使節は、当時最強の国と呼ばれたイギリスでは、『日本の正式な支配者ではない』ということで冷遇されています。
(ちなみに、パリ万博の展示物は、薩摩や幕府のものよりも、江戸・浅草の商人の数寄屋造りの茶屋や、3人の柳橋芸者(おすみ、おかね、おさと)が独楽を回して遊んだり、煙管をふかしたりするだけの光景が物珍しさから人気だったようです)
昭武は本来数年間、フランスで留学する予定だったのですが、大政奉還によって幕府が消滅したため、1868年5月には新政府から帰国を命じられ、昭武の水戸家相続の件もあり、昭武は篤太夫とともに1868年10月19日にマルセイユを出発、12月16日に横浜港に帰国するのです。
この時には戊辰戦争のさなかだったのですが、慶喜は新政府軍に対し恭順の意を示したため、横浜や江戸が戦渦に巻き込まれることはありませんでした。
徳川昭武は徳川慶喜の名代としてナポレオン3世の謁見式に出世しています。
ちなみにこの時の慶喜の名義は『源慶喜』なのですが、これは由緒正しさを強調するつもりで書いたのだと思います。
日本は幕末の800年前に、八幡太郎こと源義家のころから武士の時代が始まり、徳川家康も源氏の血を引く新田氏の血を引いていると自称していました。
(『徳川』という姓が、北関東の新田郡徳川からとったものだそうです)
さらにさかのぼると、源氏は清和天皇の血を引いているため、慶喜は源氏の血、ひいては外国では大君と称された天皇の血を引いていることを強調するのによいと考えたのではないかと思われます。
しかしながら薩摩とつながりがあるモンブランによって、その交渉も台無しにされるわけですから、悲惨としか言いようがありません。
もっともモンブランにしてみれば、幕府の頑迷さに愛想をつかしていたため、殖産興業や富国強兵を掲げる薩摩と接近したほうがいいという結論に達したのでしょうね。
今回の五代は、薩摩方の下で裏工作を働きかけ、幕府の経済力と政治力をつぶす密偵方として描かれているようですね。
同じディーン・フジオカさんが五代を演じた朝ドラ『あさが来た』では主人公を導く役柄が好評を得たのですが、笑顔がさわやかでも言動がきわめて対照的です。
薩摩は関ケ原の戦いで徳川方に刃向かって敗れたものの、藩主を交代させただけで、特に改易も減俸もありませんでした。
その時の恨みと、領地がそのままだったことによる経済力・軍事力の維持の結果、幕末において薩摩の経済力・軍事力が幕府のそれを上回る一因となったのです。
今回は幕府方の通訳であるシーボルトが裏で薩摩と繋がり、幕府の権威を落とす裏工作を行っていたというのが意外でしたね。
幕府のフランスへの借款が流れ、諸外国からをはじめ幕府の権威と経済力はさらに衰えていくことになります。
その中でも慶喜は自前の政治力と知恵とでなんとか幕府を支えようと考えていたようですが、そろそろ限界を感じ始めたようです。
いよいよ次回は、慶喜が大政奉還をするようですね。
とはいっても幕府が消滅するのは表向きだけで、引き続き慶喜が大君として政権をつかさどろうと考えていたようです。
ですが、ここに薩長を中心としたクーデター『王政復古の大号令』がおき、慶喜の目算は狂うことになるのです。
どのように大政奉還を出すのか、そして外国で篤太夫はどのようにそれを知ることになるのか、気になりますね。
次回は⇒青天を衝け第23話「篤太夫と最後の将軍」のあらすじと視聴後の感想。大政奉還。
遂に慶喜は決意するのです。
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