「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜を草彅剛が演じる。
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2021年の大河ドラマ「青天を衝け」でキャスト徳川慶喜を演じるのは元スマップの草薙剛さんです。

徳川慶喜は江戸幕府最後の第15代将軍として、大政奉還を行って260年続いた徳川幕府を閉じました。

戊辰戦争においては日本の国力をそがないためにひたすら恭順を続け、江戸の無血開城を導いたのです。

無能ともとられますし、やることはやったともとられます。

政治家役としてのイメージは今一つない草彅剛さんですが、今回高度な政治判断をし続けた徳川慶喜をどう演じるのか。

徳川慶喜と、慶喜を演じる草彅剛さんを追いかけていきたいと思います。

「青天を衝け」キャスト徳川慶喜を草薙剛が演じる。

かつてはSMAPとして歌と踊りを続ける傍ら、「いいひと」「僕の生きる道シリーズ」で様々な「いい人」を演じ続けた草彅剛さん。

そんな草薙剛が、清濁併せ呑む必要のある政治家役を演じるのは結構珍しいことだと思います。

幕府のトップ15代将軍として、渋沢栄一にどのような影響を与えるのか?1年間楽しみにしながら視聴していきます。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜の生誕から一橋家まで。

キャスト徳川慶喜は1837年9月29日、江戸・小石川の水戸藩邸で父・徳川斉昭、母・吉子女王の七男として生まれました。

幼名は松平七郎麻呂(まつだいら しちろうまろ)です。

幼少期から聡明だったようで、普通武家の弟たちは他家に養子に行くのが普通だったのですが、徳川斉昭は後継ぎとしても考えていたようです。

しかし12代将軍・徳川家慶の意向を受けた老中・阿部正弘によって、御三卿・一橋家に養子に出されます。

それが1847年9月1日でした。12月1日には徳川家慶から一字をもらい受け、慶喜と名乗ります。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜が謹慎解除。

安政の大獄によって隠居謹慎処分をもらった徳川慶喜です。

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ですが、桜田門外の変の後、尊攘志士の力に恐れをなした幕府によって、1860年9月4日(旧暦)に謹慎を解かれます。

そして1862年、彼を強烈に推薦する薩摩藩主・島津久光や天皇の命令もあり、慶喜はまだ幼い第14代将軍・家茂の将軍後見職に就くことになります。

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(しかしこれは、無位無官の人間が幕府の許可なく公家と接近したことでもあり、幕府の力をさらに弱める一因にもなるのです)

慶喜は松平春嶽とともに、久光や公家から突き上げられる形で、文久の改革と呼ばれる幕政改革を行います。

京の治安維持にあたる京都守護職の設置、および参勤交代制の緩和(事実上の撤廃)、洋軍研究の推進、軍事改革などにあたるのです。

1863年に家茂が攘夷の決行に当たって天皇家と相談するため、上洛することになっていましたが、慶喜はこれに先駆けて上洛し、天皇家に政権担当能力がないことを見抜いたうえで、

『攘夷実行を含めた国政全般を幕府に任せるか』それとも、『政権を朝廷に返納するか』の二者択一を迫ります。

しかしこれは『攘夷実行は幕府が行え』『国政全般は幕府に任せるが、国事には天皇が命令することもありうる』という天皇側の答えに終わり、交渉は決裂するに至ります。

これに対し、攘夷決行が本心ではなかった慶喜は、幕府が攘夷しないように家茂の上洛を、病気を理由に急に辞めさせるなどするなど、したたかな面を見せつけます。

その一方で、公には攘夷をするように見せかけるため、横浜港の閉鎖などを行うのです。

慶喜の本心が本当はどこにあったのかは定かではありません。しかしこの時にはすでに、若き将軍に代わって事実上幕府の政治を動かしていたと思うのです。

それでも将軍になりたくなかったわけは、鎌倉幕府の北条氏のように、『表向き将軍を助ける建前はそのままに、実権をつかさどりたかった』のだと思います。

もともと奈良時代にできた律令体制はそのままに、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と出来上がっていましたからね。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜が参与会議。

八月十八日の政変の後、慶喜は島津久光などの雄藩の藩主や、天皇や公家も交えて1863年の大みそかに、参与会議を開くことになります。

慶喜をはじめ、島津久光、山内容堂、松平春嶽などが参与として、公武合体をどうするか、尊王攘夷をどうするか、幕府改革をどうするか話し合うものでした。

しかし長州藩に対する処分問題や、横浜港の閉鎖について、慶喜と雄藩の意見は合いませんでした。

それどころか参与の交流を深めようとした酒席でも、泥酔した慶喜が中川宮に対し久光、春嶽、伊達宗城を指さして、

「この3人は天下の大愚物・大奸物であり、後見職たる自分と一緒にしないでほしい」と暴論を吐いたため、機嫌を損ねた久光は完全に参与会議を見限り、幕府への協調姿勢を諦めたそうです。

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ドラマ後半で慶喜が一橋家の家来と一緒に「快なり、快なり」合唱する場面はまさに爽快でした。

春嶽や小松帯刀(薩摩藩家老)は仲裁しましたが、慶喜は幕府老中らとも対立をはじめ、老中・水野忠精(山形藩主)は「参与会議は天下の害物、むしろ廃するにしかず」とまで述べるようになったとか。

こののち、慶喜は1864年3月25日、将軍後見職をやめ、朝廷から新設の禁裏御守衛総督に就任し、江戸の幕閣とは独自の勢力を持つようになるのです。

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『貴人、情を知らず』とは、明治維新後に没落した幕臣たちが慶喜を批判して言ったものですが、生まれつきの殿様というものは、土壇場になっての感覚が常人と違うようです。

この時の慶喜は天皇を憚って攘夷の目的で横浜港を閉鎖するのですが、将軍になると開国に傾くようになるので、そのあたりの考え方の変遷をドラマではどう描くことになるのでしょうか。

(すでに薩摩藩は薩英戦争などから、今のままでは攘夷が不可能であることを知り、『大攘夷』すなわち『いったん開国し、西洋の技術と軍事力を吸収するだけ吸収し、諸外国と対等になったところで攘夷に打って出る』という考えに傾いたようですが)

京で新選組の「池田屋騒動」があったころ一橋慶喜の家老・平岡円四朗が水戸藩氏に襲われ暗殺されてしまいます。

平岡円四朗は実存した人物ですが生存中の資料はとても少なくそうです。青天を衝けでは堤真一さんが演じていてとても味のある演技をしています。

しかし、第16話「恩人暗殺」でドラマからも退場してしまいます。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜。長州討伐への勅命。

第17話では日本幕末史の内戦「禁門の変」が勃発します。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜。15代将軍の誕生。

当時、13代将軍徳川家定は病弱で子供もいないため、一橋慶喜と徳川慶福(家茂)のどちらかを後継ぎにすべきだということでもめていました。

しかしながら一橋派の阿部正弘・島津斉彬が相次いで病死すると、井伊直弼が慶福を第14代将軍とし、徳川慶喜は将軍の座を逃します。

しかしながら最初から慶喜は将軍になる気はなかったようです。

「骨が折れるので将軍に成って失敗するより最初から将軍に成らない方が大いに良い」という手紙を父・斉昭に送っているようです。

やがて直弼が暗殺され、家茂も21歳の若さで病死すると、徳川慶喜が第15代将軍につくことになるのです。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜と渋沢栄一との出会い。

渋沢栄一が一橋家の家臣・平岡円四郎の推薦で徳川慶喜と出会ったのは、8月18日の政変直後の1863年ごろだったと思われます。

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当時渋沢栄一は尊王攘夷運動に傾倒し、幕府を倒す計画すら立てていたのです。

ですが、一橋慶喜に対しては、公武合体派でありながら水戸徳川家の人間でもあり、尊王攘夷運動に理解ある人間として徳川慶喜に一目置いていたのだと思われます。

方や徳川慶喜は由緒正しい徳川家の生まれで、裕福だとは言え農民の生まれである渋沢栄一に対しては当初相手にする価値もないと考えていたと思われます。

ただ、その経済力や利発さ・合理主義を少しずつ買うようになり、農兵募集やパリ留学の許可を与えるようになると思われるのです。

のちに渋沢栄一は徳川慶喜に対して、

渋沢栄一渋沢栄一

公は世間から徳川の家を潰しに入ったとか、命を惜しむとかさまざまに悪評を受けられたのを一切かえりみず、

何の言い訳もされなかったばかりか、今日に至ってもこのことについては何もいわれません。

これは実にその人格の高いところで、私の敬慕にたえないところです。

と評しています。

「青天を衝け」キャスト徳川慶喜の登場シーン。

第9話の慶喜は謹慎中です。そして父・斉昭の死に目にも会うことができません。

この謹慎中で父を思う草薙慶喜の演技に絶賛する視聴者が多くいました。

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「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜に影響を与えた人物。

徳川慶喜に影響を与えた人物としては、まずは父親であり、尊王思想を植え付けた徳川斉昭が筆頭でしょう。

しつけに厳しかっただけではなく、のちの戊辰戦争で徳川慶喜が新政府軍の錦の御旗を見て大阪城を脱出した背景には、自分が賊軍になることを非常に恐れたものと考えられるのです。

政敵であった井伊直弼には、安政の大獄の際に謹慎処分を受けるなど、快くは思っていなかったと思うのです。

ですが、「才略には乏しいが、決断力のある人物」と評価していたようです。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜と徳川斉昭。

「水戸の三ぽい」つまり「理屈っぽい、怒りっぽい、骨っぽい」を地で行っていたともされる慶喜の父・徳川斉昭

父親として尊敬はしていたと思われるのですが、しつけはかなり厳しく、寝相の悪さを矯正するために枕の両隣に剃刀を置かれるほどでした。

「烈公」として名君の誉れ高かった徳川斉昭に対して、自分はそうなれないのではなかろうかというコンプレックスもあったと思われるのです。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜と井伊直弼。

慶喜の政敵であり、自分が将軍につくことを妨害したのが井伊直弼です。

ただ、井伊直弼は一貫した攘夷論者であり「外国人の説に感服して一歩ずつ譲歩するのは嘆かわしく」「皇国風と異国風の区別を弁えるべきである」と老中に意見を述べたという説もあるくらいです。

ですから、慶喜は直弼に一目置いていたのは確かであったといえましょう。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜が大政奉還。

京都で独自の政治勢力を築いた慶喜は、禁門の変でも自ら敵と切り結ぶなど大活躍。

第一次長州征伐の間でも朝廷との交渉を取り持つなど政治奔走をしますが、第二次長州征伐で幕府が大敗した直後、第14代将軍家茂が病死。

本人は乗り気ではなかったのですが、その後釜として第15代将軍に就任することになるのです。

すでに慶喜の腹の中は、外国の圧力もあって開国(大攘夷であったかどうかは不明)に傾いており、フランスの大使であるレオン・ロッシュの支援を元にフランス流の軍事改革を推進。さらには幕臣の親戚の外国留学も奨励することになるのです。

しかしそれでも、薩長土肥をはじめとする討幕派の勢いを収めることが出来ず、慶喜は最後の切り札として、大政奉還を実行し、朝廷もそれを受け入れるのです。

慶喜は朝廷には政権担当能力がないことを見抜いており、雄藩との話し合いのうえで自らがトップとして政務をつかさどる意図があったといわれています。

この歴史的政権返上に、渋沢栄一がどこまでかかわるのかが、ドラマの楽しみであるといえましょう。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜が明治政府と慶喜。

しかし、これに不満を抱いた薩長が1867年12月に王政復古の大号令を起こし、慶喜や幕府と親しい公家たちを追放。

さらに翌年1月には京での破壊活動を行うなどの挑発を繰り返します。

遂に慶喜は1868年1月3日、鳥羽伏見で新政府軍と激突します。

ですが、軍備の圧倒的な違いや、新政府軍が錦の御旗を掲げたこともあって、自らが『天皇に刃向かう賊軍』になることを恐れた慶喜は、鳥羽伏見の戦場に軍兵を置き去りにして大阪城・さらには江戸へと逃げ帰ります。

この慶喜の敵前逃亡について、理由は諸説ありますが、ドラマでは斉昭の『朝廷と幕府が対立した場合、幕府に弓引くことがあっても天皇に弓引いてはならない』

という言を取ることになると思われます。

『徳川慶喜公伝』で、慶喜は、伊藤博文からの維新時に尊王の大義を重んじたのはなぜかとの質問に、

「水戸徳川家では義公(徳川光圀)以来代々尊王の大義に心を留めていた。父なる人も同様の志で、自分は庭訓を守ったに過ぎない」と応えているようです。

しかしながら結局、慶喜は朝敵として追討の対象になったため、慶喜は勝海舟に恭順の意思と江戸攻撃の中止歎願を一任して、自らは上野寛永寺、水戸の弘道館、駿河の宝台院とひたすら謹慎。

それもあって、江戸は戦火を免れると同時に、慶喜は江戸幕府最後の将軍となるのです。

1869年9月にようやく謹慎が解かれると、慶喜は駿府改め静岡に移住し、貴族院議員になるまでは自分の趣味に熱中し、政治的野心を持つことはありませんでした。

地元の人からは『ケイキ(『慶喜』を音読みしたもの)様』と呼ばれて愛されたものの、渋沢栄一以外の旧幕臣とはほとんど会わず、『貴人、情を知らず』と陰口をたたかれたこともありました。

1902年に貴族院議員になった後、1910年に引退。1913年11月22日、急性肺炎を併発した風邪のため亡くなります。

77歳で、歴代将軍では一番長寿であったといわれています。

維新後の慶喜が渋沢栄一と会っていたことを考えると、維新後にも多分慶喜は登場するのでしょう。

その時に、戊辰戦争で敵前逃亡をした時の心境が語られるのかもしれません。

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さて、「青天を衝け」を見逃してしまった。録画も忘れてしまった。

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「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜を演じる草彅剛の魅力。

ジャニーズグループ『SMAP』として、歌って踊れるアイドルの傍ら、様々なドラマに出演している草彅剛さん。

 

草薙剛は1974年7月9日、愛媛県生まれの春日部育ちです。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜を演じる草薙剛。ジャニーズ事務所に入所。

1987年、中学1年生の時にジャニーズ事務所に入所し、萩本欽一さんにその才能を見込まれて、1988年にSMAPのメンバーとして選ばれました。

 

『らいおんはーと』『世界に一つだけの花』など様々なヒット曲を連発しました。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜を演じる草薙剛の俳優業。

その一方で、俳優としてもキャリアを積み、1997年のドラマ「いいひと」での好演が評価され、視聴率は20%でした。

 

この演技で「ドラマアカデミー賞 主演男優賞」を受賞しております。

 

その「いいひと」ぶりを買われて、ドラマ「古畑任三郎VS SMAP」で本人役で出演した時には、ゆすり屋に親しい人間のことについて脅される悩める青年として描かれております。

 

酒を飲んで全裸で徘徊するなどの不祥事も起こした草薙剛ですが、努力家・勉強家・ストイックな点はいつのころからも変わっていません。

 

たかはた秀太さん評:当たり前の様に寝ないで努力している人なんだけど、そこを見せないところがやはりプロフェッショナルだと思います。

 

香取慎吾さん評:とにかくつよぽん(草彅さん)は勉強家。

 

宇梶剛士さん評:草彅くんの、あの器のデカさは何なんでしょうね。ホント、見ていて惚れ惚れします。

 

彦一を演じているときはもちろんですが、撮影の合い間とか、素顔でいるときにも“大きさ”を感じるんです。

と皆さん評価されております。

 

主演ドラマ「僕の生きる道」でも、スキルス性胃がんに侵され余命1年の主人公を演じました。

 

その演技の為に食事制限などで9㎏の減量に挑み成功しております。

 

次の長期撮影となった映画「ホテルビーナス」では真逆の挑戦をしております。

 

役作りとして筋肉量を増やす目的の筋トレ・有酸素運動および食事を行うことでバルクアップし、前者の状態から体重は15 kg増やしたと言われています。

 

また、台本を覚えるスピードも速く、三谷幸喜さんによると、本作の幕が開く前、草彅剛はかなり早いうちから台本のすべての台詞を覚えていたそうです。

 

大河ドラマは「新選組!」で榎本武揚役以来2回目の出演となります。

「青天を衝け」のキャスト徳川慶喜を草彅剛が演じるのまとめ。

徳川幕府最後の将軍として、賛否両論ながらもやるべきことはやった慶喜を、「いいひと」のイメージが強い草彅剛さんが演じることになりました。

 

大河ドラマの草彅剛さんは「新選組!」で榎本武揚役としてちょい出演する程度でした。

 

時代劇の経験はあまりないのですが、清濁両面ある徳川慶喜をどのように演じるのか、非常に楽しみでもあります。

 

2021年大河ドラマ「青天を衝け」の徳川慶喜を草薙剛さんを通じてどのような将軍であったのか?を再度勉強したいと思っています。

 

1年間楽しみましょう。

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