2021年大河ドラマ「青天を衝け」で登場するキャスト徳川家慶を演歌歌手の吉幾三さんが演じます。
徳川家慶は、遊び狂った腐敗公方であった第11代将軍・徳川家斉の路線を絶ちます。
政治の更生と「天保の改革」を実施しようとした第12代将軍です。
しかしながら「天保の改革」は失敗し、幕府の衰退とペリー来航を目にしながら、家慶(いえよし)は次世代に政治を託すことになるのです。
大きな改革を行いながらも挫折した徳川家慶。
さらにはペリー来航という前代未聞の国難の中で世を去ることになる徳川家慶を吉幾三さんがどう演じるのか?
「青天を衝け」のキャスト徳川家慶と、家慶を演じる吉幾三さんを紹介します。
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「青天を衝け」のキャスト徳川家慶を吉 幾三さんが演じる。
家慶は土井利位、阿部正弘、筒井政憲らに政治を委ねていました。
反面、薩摩藩主・島津斉興を隠居させたり、水戸藩主・徳川斉昭に隠居謹慎を命じたりしています。
また斉昭の七男・七郎磨(のちの徳川慶喜)に一橋家を相続させています。
幕政として時代の流れは激動の入り口にたっていましたね。その入り口は黒船来航です。
嘉永6年(1853年)6月3日、アメリカのマシュー・ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀沖に現れました。
幕閣がその対策に追われる中で家慶は、6月22日に薨去しました。享年61歳、暑気当たり(熱中症による心不全)で倒れたことが死の原因と言われています。
徳川家慶の幕政。
徳川家慶は寛政5年1793年に徳川家斉の次男として生まれました。
長男が早死にしたので45歳で将軍を継いだのですが、家斉が死ぬまで家斉が大御所として実権を握っていました。
そのため松平春嶽は家慶を「凡庸の人」と呼んでいました。
※凡庸=(ぼんよう)すぐれた点がなく、平凡なこと。また、そういう人。凡人。
趣味に没頭して政治に疎く、何を聞いても「そうせい」としか言わなかったことから、「そうせい様」と人々には陰口をたたかれてもいたようです。
しかし、家斉が死ぬと、家慶は腐敗の原因であった家老を更迭します。
水野忠邦らを起用して「天保の改革」にあたらせ、財政再建と徹底的な節約を断行しました。
やがて天保の改革が失敗すると、当時24歳の阿部正弘(大谷亮平さんが演じています)を老中に起用します。
ペリー来航の対応に当たらせるなど、人を見る目は非常に優れていたともいわれています。
(この時に言論統制を行わせ、蛮社の獄と呼ばれる言論弾圧事件を起こしたこともありました)
大御所であった家斉とは宗派の違いもあり、家斉の政治否定は、腐敗政治の一層のほか仲の悪さもあったようですね
家慶の後継は家慶の子どもで成人まで生き残ったのは家定でした。しかし幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌っていました。
家慶の本心は、幼少のころから聡明であった徳川慶喜を次期将軍に据えたかったようです。
ですが、凡君と呼ばれた家慶では、老中らの反対で慶喜の将軍は後になりますよね。
古い面倒なしがらみを打破できなかったというのが正直なところでしょう。
徳川家慶と老中。
家慶は人事においては非常に優れたとされる見方もあります。
家斉の側近政治の下では日の目を見なかった水野忠邦を自ら進んで老中首座に起用しています。
腐敗していた家斉派を粛清させて天保の改革を行います。
でも、天保の改革が失敗すると、阿部正弘を老中に据えてペリー来航の対応に当たらせるなど、人を使うのはそこそこ力量があったようです。
しかしながら、天保の改革で厳しすぎる倹約や財政再建、上知令によって人々や大名の不満が高まると水野忠邦を切るなど、民衆の意見に逆らえない一面もあるようでした。
徳川家慶と天保の改革。
家慶は家斉の腐敗した放漫な政治姿勢を嫌い、家斉派を更迭して水野忠邦を老中首座に起用します。
1841年、ここから天保の改革が始まるのです。
その中で家慶は、享保・寛政の改革にならって農業の発展と綱紀粛正と贅沢の禁止を行うことになるのです。
しかしながら大奥のぜいたくは大奥の女性たちの抵抗によって更正することができず、悪い前例を残してしまいます。
加えて家慶はショウガが好きだったのですが、天保の改革でショウガがぜいたく品として上らなくなると、非常に憤慨する一面もあったようです。
家慶は改革を断行できる水野忠邦の手腕を買ってはいたと思うのです。
ですが、実際に改革が始まると、腹の中では水野忠邦を非常にけむったがっていたというのが本当のところだと思います。
徳川家慶とペリー来航。
これまでもロシアなど様々な国々が北海道を中心に来ていました。
でも、正式な貿易を求めて、それも江戸近くの浦賀にペリーが来航したのは、徳川家慶の代が初めてだったといえるでしょう。
政治への熱意に乏しいとみられた徳川家慶自身も良き案を出すことができませんでした。
老中阿部正弘をはじめとする幕閣がその対策に追われる中、熱中症による心不全で1853年6月3日に亡くなりました。
「青天を衝け」のキャスト徳川家慶を演じる吉 幾三の魅力。
吉幾三さん(本名・鎌田善人)さんは1952年11月11日生まれ、民謡歌手の父の末っ子として生まれました。
本人も「父は越えられない」と演歌歌手としての父を評価しているようですが、父からは歌手の道を反対されていたようです。
それを押し切って米山正夫さんに師事した後、アイドル歌手として出発したのですがまったく売れませんでした。
吉幾三の歌手デビュー
1977年11月25日に芸名を「吉幾三」と改名した後、「俺はぜったい!プレスリー」がヒットし、「俺は田舎のプレスリー」のタイトルで映画化しました。
その一方で演歌系では数少ない作曲家としての一面もあり、1984年3月25日に千昌夫さんに提供した『津軽平野』もヒットしました。
「俺はぜったい!プレスリー」のヒット後、1986年2月25日に発売した自作曲『雪國』が初のオリコン1位になりました。
発表曲を本格的演歌歌手に路線変更し、現在に至っています。
2016年に「日本作曲家協会音楽祭2016」で、特別選奨を受賞しています。
最近はラッパーとしての一面も見せるようになりました。
2019年9月12日、全編津軽弁の歌詞のラップ「TSUGARU」を本人初となる音楽配信限定でリリースしております。
音楽以外の活動もとても多いですよね。
吉幾三は多才。
ハワイ州ホノルル市にある大型高級ホテル「シェラトン・ワイキキ」内の日本料理レストラン「吉屋」のプロデュースを行っています。
かつて郷里の金木町でタレントショップ「いくぞうハウス」を経営していたこともあります。
しかし吉幾三さんの一番の魅力は、「酒」をテーマの中心とした哀愁感漂う演歌でしょう。
「酒よ」「酔歌」など、様々な酒にまつわる歌は非常に人気があります。
「俺ら東京さ行ぐだ」という上京する人間の心理を描いた歌も歌っています。
「俺ら東京さ行ぐだ」は動画投稿サイトで様々な曲とミックスされています。
2008年ニコニコ動画では「IKZOブーム」が巻き起こっております。
本人はこのブームを好意的に受け止め、これらの制作者と幾三さん本人の協力でレコーディングされた完全新曲を収録したマキシシングルが発売されるまでに至りました。
一方で子供向けの歌を歌うことも多く、第3期ゲゲゲの鬼太郎の主題歌となった「ゲゲゲの鬼太郎」みんなのうたで発表された「TOFU ~豆腐~」も結構人気が高いのです。
徳川家慶を演じる吉幾三の大河ドラマ。
大河ドラマは「いのち」「春日局」に続く3回目の出演となります。
まとめ。
天保の改革を断行し、ペリー来航にも遭遇するという未知の国難に当たった徳川家慶の役を、演歌の大御所・吉幾三さんが演じることになりました。
俳優としての幾三さんの演技を「青天を衝け」で視聴できるのが楽しみです。
大河に出演するだけでもその貫禄は出ることでしょう。
徳川家慶は幼い徳川慶喜の英明さを買って自らの後継ぎにしたがるのですが、それが幼い慶喜にどのような影響を与えるのか。
「青天を衝け」は渋沢栄一と徳川慶喜の平行大河ドラマです。その慶喜を一押しした家慶を大河でじっくりと勉強しましょう。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
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