青天を衝け第21話「篤太夫、遠き道へ」のあらすじと視聴後の感想。
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青天を衝け第21話「篤太夫、遠き道へ」のあらすじと感想です。

(今週の注目スポットは東照大権現様の遺訓を篤太夫と慶喜が合唱するカットですね)

慶喜が徳川幕府第15代将軍に就任する中で、篤太夫は上様の弟・昭武の名代としてフランスに留学するということになりました。

しかしそれは、活動当初は尊王・攘夷・倒幕を唱えていた篤太夫の信念に相反するものでもありました。

もちろん今までの心理を捻じ曲げて外国に留学することに、多少の違和感はあったと思うのです.

でも、篤太夫の根幹は「生きて何かをして、自分の誠の志を知らせる」でした。

また慶喜が将軍になってから、慣れない職業でくすぶっていた篤太夫にとっては、気晴らしのできるいい機会であったのだろうと思いますね。

放送日:7月4日
視聴率:16.5%

家康様はなかなか登場しませんでしたが、最後に登場しましたね。

先週は⇒青天を衝け第20話「篤太夫、青天の霹靂」のあらすじと感想。

青天を衝け第21話「篤太夫、遠き道へ」のあらすじと視聴後の感想。篤太夫の動き。

慶喜が徳川将軍第15代に就任してからというもの、慣れない職務でくすぶり、なおかつ『もうやめて、百姓へ戻るか』とまで言っていた篤太夫でした。

しかし、慶喜の進言は『昭武の付き人として、フランスパリ万博に留学してほしい』という言を聞いて、心をぐるぐるわくわくさせることになります。

確かに篤太夫の当初は「尊王・攘夷・倒幕で名を知らしめようとしていた当初の栄一と矛盾する」のは確かだと思います。

ですが、

『自身の攘夷活動が幕府に知れてお尋ね者となり、自分を買ってくれるのは一橋家の獅子身中の虫と言われた平岡円四郎のみ』でした。

その状況で、捕縛されるか、あるいはその場で腹を切るかの瀬戸際に立たされた時の篤太夫のセリフは、

『気位ばかり高くて、少しも人の役に立てないまま死ぬより、生きて何かをして、少しでも誠の心を周りに示すほうが、自分にも世の中のためにもなる(それに長七郎を助ける手掛かりにもなる)』

と言ってましたよね。

パリ万博快諾。

パリ万博に昭武の付き人として留学することが可能となった篤太夫。そのなかでかつての上司であった慶喜と出会い、権現様こと徳川家康の遺訓を繰り返します。(最後に掲載)

篤太夫と成一郎は長七郎に会う。

一橋家の家臣から幕臣になって違う職場についても、篤太夫と成一郎は強いきずなで結ばれていたと思います。

ただその一方、長七郎は獄中の中で、そんな二人をもどかしげに見ながら生活する以外に仕方なかったと思いますね。

「ここは生きながら死んでいるみたいだ。捨てるべき命も捨てることが出来ずに、こうして月を思うしかない」

というセリフは当然のセリフだったかと。

歴史にもしもはありませんが、篤太夫と成一郎が長七郎を斬奸に行かせた場合、日本の歴史はどう変わっていたでしょうか。

篤太夫と小栗忠順

篤太夫は小栗に呼び出され、かつて尊王攘夷倒幕活動を考えたことがあることを指摘されつつも、一橋家の財政を立て直したことを評価され、パリ留学を期待されることになります。

この点は、武蔵の農民の生まれでありながら幕臣入りした篤太夫と、由緒正しい家柄で幕末まで家を存続させてきた小栗の違いがあると思われますね。

正直言うと小栗は、武蔵の百姓の生まれで、なおかつ当初は尊王攘夷倒幕を唱えていた篤太夫が非常に気に入らなかったと思われます。

まして小栗は勝海舟いわく、良かれ悪しかれの三河武士で、主君に忠実な割に頑固なところがあったわけで。

それでも篤太夫に一目置いたわけは、家柄や身分にこだわっていては、確実に幕府が倒れるという危機感があったからだと思われますね。

おそらく小栗の目は、遠からず大政奉還と幕府瓦解の日が来ることを視野に入れてたのでしょう。

また渋沢が外国に行っている間、大政奉還、戊辰戦争が起き、小栗もその中で賊軍として斬首されることになるため、これは最初で最後の出会いと思うと悲しいものがありますね。

青天を衝け第21話「篤太夫、遠き道へ」のあらすじと感想。幕府

天保の改革が失敗した中で、なんとか経済力を立て直し、諸藩を支配しようとする力を手に入れようとする幕府。

もちろん勘定奉行であった小栗忠順は、慶喜に反発しつつも、幕府の財政を立て直したかったのは確かでしょう。

だからこそ小栗は、篤太夫の経歴を気にしつつも、彼の能力を評価して、励ましたものだと思います。

幕府に接近してきたフランスの力を借りて、フランス風の軍隊を作ったり、将軍親衛隊である小十人組を鉄砲隊にしたりと努力を続けるようですが、やはり焼け石に水だったようです。

やはりこのころには、薩摩は幕府以上の経済力を手にし、また当時世界最強と言われたイギリスと手を結んでいたのですから、もう勝てないのは確かだったのかもしれません。

慶喜は15代将軍へ

将軍徳川家茂が亡くなり、さらには親幕府派であった孝明天皇も崩御。

討幕派の公家ばかりが周りにいる明治天皇が天皇の座に就き、難しい立場の中で慶喜は徳川幕府第15代将軍につくことになるのです。

その中でフランス風の軍隊を作ったり、さらにフランスの技術と軍事力を吸収するため開国に踏み切るのですが、これがかえって諸藩の反発を招き、薩摩の倒幕への勢いをさらに強めることになるようです。

慶喜と篤太夫

(※上記のインスタの⇒をクリックするとメイキングを視聴できます。音はちいさいですが・・・)

いざフランスという、「遠き道へ」行くことに触れて、弟の昭武をパリに派遣する慶喜の深い思いを知った栄一です。

そしてその口から、思わず徳川家康の遺訓がこぼれます。

すると慶喜もそれに続き、交互に暗誦(あんしょう)し、最後は声をそろえて締めくくり、2人は笑みを交わします。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

現代風に解釈すると・・・

人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

という家康の遺訓は、現代社会でも通じる事はあるかも知れません。

篤太夫もまた、慶喜という聡明な人間の下で引き立てられたことで、未知の海外へ留学できることがうれしかったのでしょうね。

でもこのシーンが15代将軍・慶喜と篤太夫が会う最初で最後になりました。

次に会うのは明治維新になってからですね。

まとめ

いよいよ昭武の付き人として、パリ万博に参加することになった篤太夫。

当初は尊王・攘夷・倒幕で活動を開始した篤太夫が、結果的には外国に留学することになるとは、栄一自身も思わなかったでしょう。

この辺りの移り変わりは、はたから見れば変節の不忠のとみられても仕方ないかもしれません。

ただ、銀魂の坂田銀時の「信念もってまっすぐ生きるのも結構だがよォ。そいつのせいで身動きとれなくなる位なら一篇曲がってみるのも手なんじゃねーの?

グニャグニャ曲がりくねっててもいいじゃねーか

そうしてるうちに絶対譲れねぇ一本の芯みてーなもんも見えて来るんじゃねーか?」

というセリフもあるわけで、しかも篤太夫の場合は『生きて人のために尽くす』という信念があるわけです。

そして栄一は、パリ万博で何を見つけるでしょうか?

次回は⇒青天を衝け第22話「篤太夫、パリへ」のあらすじと感想。パリ万博使節団とは?

最後までお読みいただきありがとうございます。