大河ドラマ2021年「青天を衝け」第27話「篤太夫、駿府で励む」のあらすじ(ネタバレ)と感想をお届けします。
駿府にとどまった篤太夫は、駿府藩の財政を立て直すため、『コンパニ―』なるものを作ろうと必死に努力します。
その背景にあるのは、徳川幕府が消滅したために路頭に迷う多くの旧幕臣がいるという状況でした。
一方、従兄弟の成一郎は函館で旧幕府軍のために最期まで戦う決意をしていましたが、土方に促され、生き恥さらしても生き延びることを決意します。
かたや新政府軍は、戊辰戦争による多額の借金も多く抱える中で、幕府の面々とともにパリに留学した篤太夫に目を留めます。
時代が大きく変転してしく明治の篤太夫の動きを見ていきましょう。
先週は⇒青天を衝け第26話「篤太夫、再会する」の視聴後の感想。
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駿府で謹慎を続けた後、慶喜はそのまま駿府藩の藩主となります。
ですが、幕府瓦解後の駿府では、禄を失い路頭に迷った幕臣たちが、体面を気にすることもなく押し寄せるありさまでした。
篤太夫が銀行と両替の両方の機能を兼ねた商法会所を駿府で設立します。
これが出来た背景には、篤太夫の財政的な才能のほかに、もともと農村地主の生まれで、由緒正しい武士の生まれではなかったことにあると思います。
だからこそ、武士にも商人にも毅然として接することもできたし、両者の緩衝材の様な役回りにも慣れたのだと思います。
そしてパリでの経験から、これからは剣の腕や和歌を詠む才能ではなく、商品経済にあった財政のケイさんや商売を通じて富国強兵が出来るということを知り抜いていたと思うのです。
恵十郎が真っ先に篤太夫の熱意に従い、そろばんをはじいた理由は、長い付き合いのほかに、そういった篤太夫の熱意に感化されていったこともあると思われます。
このシーンを視聴した時、土曜パークで篤太夫の父役を演じる小林薫さんの渋沢市朗右衛門評を思い出しました。
それは当時でも渋沢家は単なる農家ではなく材料を仕入れて加工する日本の生産加工業の原点で商いをしていたのです。
その仕組みを篤太夫は多分肌で感じていたのでしょう。
篤太夫は駿府に残り、太政官札の目的を知り抜いて、太政官札を現金に換えて、それで商法会所を設立し、商売で駿府藩の経済力を富ませようとします。
このアイデアは駿府の商人たちもまして武士たちも考えつかなかったでしょうね。
だから、旧幕臣の士族や商人たちの反発があったのでしょう。ただ、篤太夫の熱意に押され、それぞれが融和して働くことになるのは篤太夫の熱量ですね。
⇒2021年大河ドラマ「青天を衝け」でキャストの吉沢亮が演じる「渋沢栄一」とは。
その一方、最後まで旧幕府のために戦い続けてきた箱館の旧幕府軍も、ついに陥落の時を迎えます。
武士として武に生き、最後は旧幕府軍のために命を散らそうと考えていた成一郎ですが、土方の懇願もあり、生き延びることになります。
逃げ延びていく中で、先立った藤田小四郎、真田範之助、土方の顔を思い出し、生き恥をさらしたことに慟哭する成一郎が非常に印象的でした。
結果的には成一郎はその後、新政府に仕官することが出来るようです。
成一郎が生き恥をさらして生き延び、土方は戦死することになるのですが、これと篤太夫の働きが対として描かれたのは
「命を捨てて主君に忠誠を尽くす時代は終わり、これからは生き延びて新時代に尽くす時代になってきている」
そのことの象徴として「青天を衝け」では伝えたかったのでしょう。
その中で篤太夫は経済人として、世話になった恵十郎や、親友の成一郎の仕官の世話もしていくのでしょう。
その前にまずは篤太夫自身が明治政府に仕官するまでのプロセスが気になりますよね。
かつて幕府を消滅に追いやった薩長土肥に仕えることへの葛藤は大きかったと思うのですが、どのようにして仕官することになるのでしょうか。
当初は水戸の民部公使の連絡係としての務めを果たし、それが終わったら仕官も辞退し、水戸で百姓商人をして暮らそうと考えていた篤太夫でした。
しかし慶喜の懇願もあり、駿府に残ることになりましたね。ですので民部公使とは別れることになりました。
理由としては、水戸が武田耕雲斎の孫・金次郎によって結成された「さいみ党」によって、家族を含む水戸藩保守派の暗殺が堂々と行われていたことです。
混乱の極みにあったためとドラマでは言っておりました。
確かにこのような治安の悪いところに行けば、篤太夫の命も危ういと慶喜は思ったのかもしれません。
(ちなみに、天狗党の乱をはじめとする一連の勤皇派と保守派の殺し合いによって人材が枯渇した水戸藩は、新政府の中枢から外れていきます)
篤太夫は武士と町人が力を合わせて働く商法会議所を設立し、そこから駿府を発展させる道に進みます。
これはおそらく、パリでの留学による知識と経験からの発想でしょう。
武士だけが駿府や日本を動かすのではなく、商人や百姓と言ったものたちも自前の経済力を生かして郷土や国を富ませるという外国の作法の知識です。
この発想が篤太夫のその後の進路に影響を与え、明治政府にも影響を与えていったと思うのです。
ただ、旧来の士農工商の考え方に固執していた武士改め士族も少なくなかったと思われます。人は急には思想を変えることはできませんよね。
川村恵十郎をはじめとする旧幕臣が、あっさりと篤太夫の勧めに従うのはちょっと違和感がありましたね。
恵十郎に言わせると『かつて自分の主君であった平岡円四郎を守れず、戊辰戦争でも死に損ね、生き恥をさらす羽目になった。これからは生きて主君に尽くすのがいいのかもしれない』ということだったと思います。
それは函館で死に損ね、生き恥をさらすことになった成一郎も同じだったものと思うのです。
後に恵十郎は1873年から明治政府の大蔵省に出仕し、太政官、宮内省、内閣で勤めていくようになります。
そして成一郎も大蔵省に出仕した後、生糸商や東京商品取引所理事長を歴任するのです。これは2人に、商人としての際があったのと同時に、非常に運がよかったものと思われますね。
他の幕臣たちは維新後、慶喜に『貴人、情を知らず』と陰口をたたくほど経済的に困窮していきます。
「武士商売」「士族の商法」と呼ばれるほどなれない商売に手を出して失敗する人間も少なくなかったのですから。
太政官札は、戊辰戦争以降多額の借金に見舞われた明治政府が、1868年に緊急に出した日本最初の全国流通紙幣でした。
通用期限は13年間でしたが、しかしながら当時は新政府に対する信用が薄く、国民が紙幣に慣れていないこともあり、太政官札百両で金四十両と交換するほどでした。
ドラマでもあったように、額面より安く貨幣と交換されたことも、あながちフィクションではないかもしれません。
太政官札を額面以下で貨幣と交換することを禁止したり、租税および諸上納に太政官札を使うように命じたり、様々な政府の施策で太政官札の信用は上がります。
ですが、今度は太政官札の偽札がはやるようになります。
そこで政府は、1869年の布告で太政官札の期限を5年に短縮し、もし期限にいたって交換未済のものがあるときはこれに対し1年で6%の利子を交付することを約束しました。
この混乱は、1872年に新貨条例によって貨幣単位が『両』から『円』に変更され、金貨が主な貨幣となるまで続きます。
結局太政官札は、1872年に明治の貨幣と交換される形でほとんどが回収されるまで存在することになります。
幕府を倒し、戊辰戦争も終わった中で、明治政府はいよいよ様々な改革に乗り出します。殖産興業・富国強兵を行ううえで、そのためのシステムも貨幣経済も不十分なままでした。
大隈重信や五代才助が中心となって、なんとかこの改革に乗り出したいと考えていました。その中で彼らは、藩政を経済面で改革しパリにも留学した篤太夫に目を止めることになるのです。
そして篤太夫はその際を生かして明治政府に起用され、日本近代資本主義の礎を作っていくのですが、彼がどのように政府に起用されるか、そのプロセスが気になります。
次週⇒青天を衝け第28話「篤太夫と八百万の神」ですね。
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