2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。では題名の「鎌倉殿の13人」って誰?そして何をした人物なの?そんな疑問を持たれる大河ファンは多いと思います。
そこでここではその13人のキャストを紹介します。放送前は13人すべてのキャスト発表はありませんでした。
放送が始まりそのキャストの発表があり、ドラマ上で正式に決まったのは第27話で頼家の2代目所信表明の時でした。
そんな「鎌倉殿の13人」ですが、長らく出演者の不祥事で配信は中止になっていました。でも大河ファンの要望がNHKに届き再配信が行われます。
2024年1月から随時配信が開始されますので、ぜひU-NEXT公式のNHKオンデマンドで視聴して下さい。
頼朝が鎌倉入りを果たした後に源頼朝は鎌倉殿になりました。ドラマでは第11話「許されざる嘘」で紹介していました。
一緒に平氏勢と戦った坂東武者たちが御家人になり主従関係が少しづつ確立していくのです。
鎌倉幕府を開いたのは、初代将軍になった源頼朝でが、「鎌倉殿の13人」の主役である北条義時が「武家政権の時代」の基礎を作りました。
頼朝時代はまだ「13人の合議制」での政治は行われていませんでした。それは絶対的な権力者・頼朝がいたからです。
北条義時は、頼朝の妻・政子の弟です。義時は、まだ若いころから頼朝に仕え、平氏との戦いを経験します。
正治元年(1199年)4月、「鎌倉殿の13人」は、二代将軍・頼家の政治の補佐をするために生まれた日本で初めての合議制度です。
宿老13人が起訴を取り次ぐことになります。
北条義時は最年少でそのメンバーに入ります。その内訳は武士9名、文士(文官)が4名です。
そして頼朝の死後、幕府の執権として将軍を補佐する立場になった義時は、ライバルとなる宿老たちとの戦いに勝利し大きな力を得るのです。
やがて、後鳥羽上皇が率いる京方との戦いである「承久の乱」に勝利を収め、武家政権である鎌倉幕府の権力を確立したと評価されています。
頼家の補佐をする13人の宿老たちによる訴訟取次の評議が始動しましたが、権力争いや不幸によって抜ける宿老がすぐに出てきます。
第29話「ままならぬ玉」で13人の内、中原親能が出家して最初に抜けました。
中原親能は政子の次女である「三幡(さんまん)」の乳母夫でした。
しかしその三幡が正治元年(1199年)4月の評議開始後に闘病の末、帰らぬ人になってしまうのです。
これを機に親能は出家し鎌倉から離れるのです。宿老の文官が一人減りました。
それぞれの人物像は鎌倉幕府の事績を記した史書である「吾妻鏡」に残されています。
その後、梶原景時が討ち死にし、その3日後には三浦義澄がそして安達盛長がその生涯を閉じました。
以上の13人です。
また今回の放送でNHK出版から「歴史ハンドブック」や公式ガイドブックも発行されています。
梶原景時の退場は第28話「名刀の主」です。ドラマではNA死にでした。
エンディングで景時が善児を義時に譲ります。善児は義時によって「名刀」になるのか?善児はどんな仕事をするのかも気になりますね。
第21話「仏の眼差(まなざ)し」で登場します。
以上の13名です。
大泉洋が演じる源頼朝は27話で退場します。
鎌倉殿の13人の義時は頼朝に仕えていた時代は貧乏くじを引く役割です。
しかしそこは三谷幸喜脚本ですので、いつの時点で頼朝の残酷さを受け継ぎながら武士時代の頂点に立っていくのです。
13人の中から少しづつフェードアウトする人物がいますが、その退場の仕方も注意深く見ていきましょう。
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