大河ドラマ2020年「麒麟がくる」で本郷奏多(キャスト)が演じる破天荒な公家といわれた関白・近衛前久を紹介します。
彼は、「本能寺の変」の黒幕ともささやかれている人物です。
摂政・関白を務める名門の家でありながら、その半生を地方行客に費やした近衛前久はどんな人物だったのか?
織田信長の七回忌で読んだ歌の頭文字を6つとると『なむあみだぶ』となるなど、読む歌も変わっていました。
当代屈指の文化人とも知られており、その文化の地方波及にも一役買っていたようです。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
あなたも共感する大好きな俳優(キャスト)は誰ですか。もし再視聴するなら…
アマゾン(amazon)プライムの会員の方はチャンネル「NHKオンデマンド」を購入して観て下さいね。
「関白という偉い役ならではの大変さも。たとえば、着ている着物が立派で、しかも何枚も着ているので重い(笑)。
あとは、立烏帽子(たてえぼし)。これは将軍様と同じもので、とても高さがあります。
油断していると、鴨居にコツン!屋内を歩くときは要注意なんです」
(本郷奏多)
近衛前久は天文5年(1536年)、藤原道長の子孫である近衞稙家の長男として京都で生まれます。
藤原道長は2024年大河ドラマ「光る君へ」で柄本佑さんが演じていますよね。
近衛前久は天文9年(1540年)に元服し、叔母・慶寿院の夫でもある室町幕府12代将軍・足利義晴(13代将軍・足利義輝の父)から偏諱を受け晴嗣(はるつぐ)と名乗ります。
天文10年(1541年)、従三位に叙せられ、改めて公卿となると、天文23年(1554年)に関白左大臣となります。
また、藤原氏全体の長である藤氏長者にもなるのです。
天文24年(1555年)1月13日、従一位に昇叙し、足利将軍家とは縁を切って名を前嗣(さきつぐ)と改めます。
行動派の近衛前久が、室町幕府第14代将軍足利義栄の就任を推挙したのを名目に、関白の座を下ろされます。
⇒麒麟がくる29話「摂津晴門の計略」のあらすじ(ネタバレ)と感想
朝廷では、14代将軍として義栄を推挙した関白の近衛前久が困った立場に立たされていました。
義栄の評判が悪い上に、先の関白だった二条晴良の取次で、帝が義昭の儀を許したのでした。
⇒麒麟がくる26話「三淵の奸計」のあらすじ(ネタバレ)と感想
戦国時代から江戸時代にかけて、摂関家の名家でありながら自前の武力を持たなかったがゆえに、上杉謙信・織田信長・徳川家康と頼る武将を変えながら生き抜いてきた関白が近衛前久です。
「麒麟がくる」では伊呂波大夫の弟分として頭が上がらない面をみせていました。
若くして大変な地位についた前久の心のよりどころとなるのが、姉弟のように育った伊呂波大夫です。
前久はこの時代の公家としては珍しく、自ら政治に介入しようとするなど、肝の座った面が大きかったようです。
戦で荒廃し、混とんとした世を、自分がどのように変えられないかと常に模索してる人物です。
史実でも前久は織田信長とは親交が深かったようです。
⇒麒麟がくる22話「京よりの使者」のあらすじ(ネタバレ)と感想
永禄2年(1559年)、越後の長尾景虎(上杉謙信)が京都に上洛すると、前嗣と景虎は互いに意気投合し、血書の起請文を交わして盟約を結びました。
そして関白らしくもなく、自ら越後へいって景虎が関東を平定する手助けをするなど、行動力の強さを見せつけるのです。
景虎が越後に帰国した際も危険を覚悟の上で古河城に残り情勢を逐一越後に伝えるなど、大胆かつ豪胆な人物でもありました。
武田信玄と上杉謙信が激突した第四次川中島の合戦では、前嗣は謙信に宛てて戦勝を賀す書状を送っています。
この頃、名を前嗣から前久(さきひさ)に改め、花押を公家様式から武家様式のものに変えるなど、武家として生きる決意を固めていたようです。
しかし、やがて謙信の関東平定が立ち行かなくなると、前久は永禄5年(1562年)8月、失意のうちに京へ戻ります。
1565年5月に永禄の変によって第13代将軍足利義輝が暗殺されると、暗殺の下手人である三好三人衆は前久を頼ります。
前久は自分の姉を保護したことで三好三人衆を保護することにし、彼らが推薦する足利義栄を次の将軍としますが、このことが足利義昭の怒りに触れてしまいます。
永禄11年(1568年)、織田信長が足利義昭を連れて上洛を果たすと、力を得た義昭はその咎で前久の関白職を解き、朝廷から追放します。
その後は石山本願寺の顕如を頼って摂津に移り、信長包囲網が出来上がると顕如を利用して、義昭を追放しようとします。
そのため、天正元年(1573年)に義昭が信長によって京都を追放されると、信長包囲網から離脱。
信長によって京都へ戻ることを許され、関白職も取り戻します。
以後は信長との親交を深め、特に鷹狩りという共通の趣味を有していた事から、前久と信長はしばしば互いの成果を自慢しあったと言われています。
その中で九州に下向し、大友氏・伊東氏・相良氏・島津氏の和議を図ったり、信長と本願寺の和議を図ったりなどもしているのです。
まさに縁の下の力持ちだったといえましょう。
織田信長が近衛前久に暴言を吐いたというエピソードがありますが、実際は鷹狩りで趣味が合い、その結果をお互い自慢しあうなど仲は良かったようです。
のちの毛利家征伐において秀吉軍が比較的スムーズに制圧できたのも、前久の九州の大名に対する裏工作ができたからだともいわれています。
また、織田信長の七回忌で読んだ歌の頭文字を6つとると『なむあみだぶ』となるなど、それだけ前久は信長の死を悼んでいたのが分かります。
しかし、本能寺の変によって信長が死亡すると、前久は権力を失って出家し、竜山(龍山)と名乗ります。
さらには『前久邸から光秀軍が本能寺を銃撃した』といううわさも広まり、織田信孝や羽柴秀吉の不興を買った彼は、徳川家康を頼り浜松に住みます。
天正15年(1587年)以降、足利将軍家ゆかりの慈照寺東求堂(この時住職がいなかったそうです)を別荘として隠棲した後、慶長17年(1612年)5月8日、薨去。享年77。
京都東福寺に葬られました。
「オリジナルキャラクターの伊呂波太夫と前久との関係性がおもしろいですね。
仕事ではキリッとしていても、伊呂波といるときは自然と子どもっぽさが出てしまいます。
尾野真千子さんは、ふだんから優しくてチャーミングな方なので、リラックスして演じさせてもらっています」(本郷奏多)
大河ドラマのオリジナルキャスト伊呂波太夫が近衛家にお世話になっていたころ、太夫は弟分である前久をよくかわいがっていたというエピソードがありました。
のちに前久がその行動力を発揮する際、太夫が裏方としてその力を発揮していた可能性は否定できません。
大河ドラマでは天皇を軽んじる義輝に、前久が文句を言うシーンがありましたね。
しかし前久と義輝はいとこではあっても、将軍親政を積極的に行おうとする足利義輝と、天皇政権のナンバー2として執政にかかわろうとした近衛前久は気が合わなかったものと思われます。
のちの永禄の変の時、義輝を暗殺した下手人である三好三人衆を保護し、彼らが推薦する義栄を次期将軍に任命したことからそれがうかがえ知れるでしょう。
義輝の弟義昭が前久を憎み、関白の職を解いたのもわかる気がしますね。
土岐源氏の血を持ち、足利家とも親交があった光秀にとって、関白である前久は敬うべき対象であると同時に、その行動力を恐れていたのではないでしょうか。
ただ、しばらく光秀は義昭に仕えるので、その間は前久と敵対することになりそうです。
光秀が義昭を見限り信長についてから、ようやく光秀は前久と親交を深めることにはなると思いますね。
前久が本能寺の変の黒幕という説がありますが、もし事実だとするならば、何度も光秀が前久と話し合っていたのは確かでしょう。
ただ、前久が本能寺の変にかかわっていないとするなら、『前久邸から光秀が本能寺に向けて銃撃した』という風評を流されたときには迷惑極まりなかったのではないでしょうか。
まとめると、あくまで政治的なつながりで同盟を結んだり敵対したりといった関係でしかないと思われるのです。
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」で登場する他のキャスト一覧はこちら。
朝廷内における老獪な政治的駆け引きよりも、実際に地方に赴いて命がけの行動を続けてきた近衛前久。
その破天荒さが、足利義昭や明智光秀に少なからぬ影響を与えてくるのも確かでしょう。
本能寺の変の黒幕に近衛前久もかかわっているという説があるのですが、はたして本当に信長暗殺にかかわってくるのか、
そして光秀はどのように乗ってくるのかが非常に楽しみであります。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
NHK大河ドラマをこよなく愛し毎週楽しみに視聴しています。
ただ視聴するだけでなく「あらすじと感想」を紹介しています。
でもリアルタイムで見ることができない時は見逃し配信で見たり
時々は歴代の大河も視聴しています。
管理人の大好きな大河ドラマをまとめていますので見逃し配信
と一緒に楽しんで下さい。