2020年大河ドラマ「麒麟がくる」でキャスト徳川家康を演じるのは風間俊介さんです。
徳川家康は「我慢強い武将」というイメージですよね。
幼少期から織田家、今川家の人質になるなどさまざまな苦難を耐え忍び、多くの事を犠牲にしながら、現実をみつめながら前に進んだ武将です。
「麒麟がくる」の家康の登場は、幼少期の人質時代に光秀から干し柿を受け取るシーンでしたね。
光秀は菊丸と一緒でした。その菊丸は家康の忍びだったのです。
麒麟がくるの光秀とは「戦のない穏やかな世を作る」という理想を共有する同志でした。
2020年12月23日発表
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」でキャスト徳川家康を演じている風間俊介が新型コロナウイルスに感染したことの報道がありました。
NHKは「今後の演出は現在検討しています」とのことで「本能寺の変」では登場するのでしょうか?
さて、風間俊介さんが演じる徳川家康の幼少時代は小さな三河松平郷の支配者として生まれ、人質時代を長らく過ごすのです。
やがて織田信長、豊臣秀吉と同盟関係の配下として忍耐の日々を送り、徳川家康は後に260年に及ぶ太平の世を築きます。
さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。
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『麒麟がくる』国づくりは、織田信長や明智光秀ではなく、徳川家康によって果たされることになるのです。
260年の太平の世を築き、『権現様』『神君』と呼ばれることになった家康です。
ただここ数年は、保守主義で寡黙な苦労人という陰気なイメージがあるためか、三天下人の中では一番不人気とされています。
ですが、麒麟がくるでキャスト徳川家康が登場するシーンを視聴するたびにやはり麒麟を読んだ武将としてのイメージが強くなってきました。
史実の徳川家康はどのような人物だったのか、麒麟がくるを通して見ていきたいと思います。
竹千代時代の家康の登場シーンもありましたが、ここでは風間俊介が演じる徳川家康の登場シーンを紹介します。
「安土城に家康を招いての祝いの宴(うたげ)。歴史ファンにとっては有名なエピソードですが、それがどのような切り口で描かれるのか?台本を読んだとき、『えー、そうなの!』と驚いたし、『これは、おもしろい!』と思いました」(風間俊介)
家康の前で光秀への信長のパワハラはエスカレートしていきます。その時家康はどんな気持ちであったのか?
そして光秀が本能寺の変で謀反を起こした後にどのような行動をするか?
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家康は信長から妻と嫡男を追放・死罪の命を受けます。家康もこの時点では信長から離れゆく心になっていたのですね。
「自分の国や人生を懸けた決断を相談する。そのときの家康は、三河を束ねる一国のあるじとしてではなく、幼いころに干し柿をもらったことのある、戦国を生きるひとりの男として相談しているのでは。肩書や地位を脱ぎ捨てて話ができるのは、きっと明智様だけなんだろうなと」(風間俊介)
家康の本心を信長の家臣である明智光秀に菊丸を使ってまでも伝えるシーンがあるのは何故なんだろう?と思いますよね。
歴史好きな方々が明智光秀と徳川家康は通じていたとの解釈をしている方もいますよね。
天海僧正が光秀か?とか何故日光に明智平という地名が残っているのか?明智の家臣・斉藤利三の娘がなぜ春日の局になったのか?
などなど不思議な事が沢山あります。だから歴史は面白いのですね。
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家康も織田軍と共に朝倉攻めに参戦します。金ケ崎城で久しぶりに光秀に会い干し柿の味を忘れていないことを話します。
「光秀は、ずっと再会したかった人。幼いころから一癖も二癖もある大人たちを見てきて、その中でも光秀は信頼できると感じた稀有(けう)な存在だったはず。ですから今回、信長様のもとにはせ参じるときには、あの光秀にまた会える!とうれしかったと思います」(風間俊介)
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松平元康は今川軍の先鋒として、二つの織田軍の砦を攻めます。
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松平元康は今川軍の先鋒として尾張に国境に入ります。
「三河のために生きながらも、元康は幼いころに引きさかれた母への思いを片ときも忘れたことはなかったはずです。ずっと、会いたくて、会いたくてしかたなかった。そんな母上から突然届いた文を読み、元康はどのような決断を下すのか?僕も次回が楽しみです」(風間俊介)
そこに菊丸が現れ16年間会えなかった母・於大の方から文をもらうのです。その内容は・・・
ドラマではこの場面で光秀と会っていますね。
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徳川家康の幼名は竹千代。1543年1月31日に岡崎城にて生まれます。
家康の生まれたころの三河は、織田家と今川家という二つの大名に脅かされており、父の松平広忠は勢力としては大きかった今川方につくことを決め、織田方についた母を離縁するなどしました。
6歳で今川方に人質に送られることになった竹千代ですが、この時に家臣が裏切って織田方につき、織田信秀の元に送られます。
天文16年(1547年)尾張・織田家の人質になります。
家康の父・松平広忠が相変わらず今川側につくことを決めたため、竹千代(家康)は織田の家で堅苦しい生活をすることになるのです。
やがて頼りない広忠を見限った家臣が広忠を暗殺。(ドラマでは信長が殺した展開でしたね)
竹千代は織田家の人質交換と共に今川に返されたものの、三河には行けず、駿府で再び人質生活を余儀なくされます。
このように、家臣の裏切りが松平家において多かったようですね。(参謀・本多正信も一度裏切っています)
このことが、徳川家康の『口数が非常に少ない』『一見何考えているのか分からない』という寡黙な人格を作り出していくのです。
こののち竹千代は、太原雪斎の下で教育を受けたという通説がありますが、近年フィクションという見方が強くなっております。
やがて1555年3月に元服、今川義元から一文字取って松平元信、のちに尊敬する祖父・清康の名を取って元康と名乗ります。
初陣では三河の国衆の反乱を治めるなどして活躍、義元にも気に入られますが、1560年の桶狭間の戦いで転機が訪れます。
桶狭間では今川方の先駆けとなりますが、今川義元が討たれると、自害を図ったり、独自に室町幕府と関係を結ぼうと考えます。
しかし、先に今川を見限り織田についた母方の叔父の仲介もあって、1562年に今川とは手を切り、信長と同盟を結ぶことに成功します。
翌年には今川と縁を切る証として、『元』の字を捨て、『家康』と名乗ります。
ここに、家康率いる松平家(徳川家)は戦国大名として独立するのです。
『当初はそれほど気にもかけなかったが、桶狭間の戦い以降一目置くようになり、同盟者となる』
幼少期、家康が竹千代だった頃に幼い信長と出会ったという説もありますが、史実ではないといわれています。
「将棋盤がすごく重くて、信長さまの前でゆっくりおろすときは、うでとひざがプルプルしました。あと、将棋のコマを動かす順番が決まっていて、それをセリフといっしょに覚えるのが大変でした。信長さまのオーラはすごくて緊張したけど、ちゃんとできてうれしかったです」(岩田琉聖)
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元々今川と織田に挟まれていた松平家は、今川と織田のどちらにつくか、当初から難しいかじ取りを迫られていました。
そのなかで家康は今川方の武将として出発することになります。
当初家康は信長のことを、噂通り『大うつけ』と考えてそれほど注目してはいなかったのではないかと思われます。(ドラマでは違いますが・・・)
むしろ母を取られたのは、母方の叔父の裏切りということもありますから、むしろ織田家にはうらみをもっていたのではないかと。
ところが、桶狭間の戦いで信長が大方の予想に反して大金星を飾ったわけです。
ですから、大方の予想を覆した信長に驚いたのと同時に、『うつけ』ではないと見たのだと思われます。
また、海道一の弓取りと言われた今川義元が討たれた後、家康はその時点から今川からの独立を図ったといわれています。
家康が今川についていたのは、義元個人の力によるところが大きいことがわかります。
そしてお互い頼りになる同盟者として、信長と家康は同盟を結ぶことになるのです。
しかし、のちに信長の娘と政略結婚した長男・信康に謀反の疑いをかけられてしまいます。
長男を自害に追いやらねばならないなど、かなり綱渡りの同盟だったのですね。
墨俣一夜城あたりから注目するようになりますね。
家康と豊臣秀吉が出会ったのは、信長と家康が同盟を結んだ1562年以降であると考えられます。
この時家康は今川から独立して三河の戦国大名になっていました。
秀吉(藤吉郎)はまだ小者です。武将として秀吉が認められる1565年までもう少し時間がかかっています。
ということは、秀吉はまだまだ下積みの時代でありましたから、家康は信長を介して秀吉と知り合いつつも、特に歯牙にもかけなかったと思います。
ところが、秀吉の明るいキャラクターや、後の「墨俣一夜城」などで秀吉の活躍をみることになります。
そして、少しづつ一目置くようになり、やがて秀吉が信長の仇討(麒麟がくるでは違いますが)で光秀を討ち取るのを見るこになります。
そのことで初めて秀吉に一目置くものと思われるのです。
信長の上洛から一目置くようになります。
徳川家康が正式に今川から独立したころ、光秀は朝倉家で日の目を見ない生活をしていたものと思われます。
麒麟がくるで描かれた幼い竹千代が光秀に出会った可能性はなく、家康は光秀のことをあまり知らなかったと思います。
やがて足利義昭が上洛するうえで光秀がその仲介人になります。
徳川家康は室町幕府に一番近い武士の一人として、明智光秀に注目することになると思われます。
やがて家康と光秀は事実上の信長の配下としてお互い一目置く仲になるのです。
ですが、光秀が家康のもてなしをしようとしたときには信長から『魚が腐っている』と折檻するのです。
家康もその噂を聞いて、非常に恐れおののいたものと思われますね。(麒麟がくる43話では家康の目の前でその事件はおきましたね)
本能寺の変で信長が討たれたころ、家康は安土城を訪れた直後で、堺を見物中でしたから、非常に衝撃を受けたと思われます。
この時は少人数であったために、もしかすると自分も討たれるかもしれないと思って、自害まで考えていたそうです。
ですが、武闘派の本多忠勝に止められたそうです。
堺から兵を集めるのも難しかったらしく、三河へ戻るのに、伊賀国の険しい山道を越え伊勢国から海路で三河国に辛うじて戻ったそうです。(世にいう『神君伊賀越え』です)
この時家康は自らが光秀を討って天下を取ろうと考えていたようです。
ですが、兵の進軍中に秀吉が光秀が討ったのを聞いたことや、甲斐や信濃に一揆が頻発したということで撤兵したようです。
家康にとって、信長に一番信頼されていると思っていた光秀が謀反を起こしたことも、秀吉が中国から京へわずか10日間で移動したことも、驚きの連続だったでしょうね。
それで家康は、改めて秀吉に注目し、一度は小牧長久手の戦いで争いつつも、やがて配下にくみすることになったのだと思われます。
当初は今川の配下として、やがては織田の同盟者兼戦国大名としてその名をとどろかせることになるキャスト徳川家康です。
光秀の言う『麒麟がくる』国づくりをするのは徳川家康になることになるのでしょう。
ですが、光秀は若き家康に何を見るのか。そして家康は光秀をどのように評価するのか。
それが気になるところですね。
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」も最終回44話は直球で「本能寺の変」です。
麒麟を呼ぶ武将は明智光秀なのか?織田信長なのか?いやいや「徳川家康」なのか?
3武将の関係を見ながら最終回を楽しみたいと思います。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
NHK大河ドラマをこよなく愛し毎週楽しみに視聴しています。
ただ視聴するだけでなく「あらすじと感想」を紹介しています。
でもリアルタイムで見ることができない時は見逃し配信で見たり
時々は歴代の大河も視聴しています。
管理人の大好きな大河ドラマをまとめていますので見逃し配信
と一緒に楽しんで下さい。
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