2008年の大河ドラマ「篤姫」の主演は女優の宮崎あおいさんです。史上最年少で主役の篤姫を演じました。
篤姫が生きた時代は幕末も幕末、外国の圧力によって天下がひっくり返り、幕府の時代が終わりをつげ、新しい時代が始まる時期でもありました。
そうした中で、薩摩の生まれでありながら13代将軍・徳川家定に輿入れしました。
やがて薩摩と幕府が対立してくると、複雑な立場でありながらも「自分の信じる道」を歩もうとしたのが天璋院篤姫でした。
「女の道は一本道」を合言葉に、2008年の大河ドラマ「篤姫」は視聴者の支持を得ました。
全50話の平均視聴率は24.5%で幕末を舞台とした大河ドラマとして過去最高の視聴率を得ました。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」では幕末が時代背景なので上白石萌音さんが演じる「篤姫」が登場します。
ここではそんな篤姫の生い立ちと、篤姫周りの歴史の偉人、そして主役篤姫を演じた宮崎あおいさんを紹介します。
先ずは篤姫周りの歴史の偉人を紹介します。
島津家の分家であった島津忠剛の娘として、1836年2月5日に生まれた篤姫は当初、「於一(おかつ)」と名乗っていました。
薩摩藩藩主・島津斉彬(なりあきら)の長男が若死にしたこともありますが、篤姫は1853年に斉彬の養女になりました。
そして、8月21日に朝廷や幕府のつながりを強くするため江戸に向かいます。
その後11月には13代将軍・徳川家定の御台所となり、教育係の幾島を伴って大奥に入りました。
御台所とは江戸時代の将軍の妻のことを指します。
むかし、身分の高い人が食事のときにつかった台盤というお膳を置いておく「台所」から来た言葉です。
それが貴人の奥方(妻)という意味に転じて、源頼朝の妻である北条政子が「御台所」と称されてから、将軍の正室をあらわすものになりました。
御台所に選ばれるのは高貴な人です。最高位の公家や天皇の兄弟にあたる親王の家の娘、および皇女だけという決まりができ、慣例になっていました。
しかし、例外がありました。それが11代将軍・家斉の正室・広大院、13代・家定の正室・天璋院です。この二人は大名の島津家の姫でした。
さて、1858年には篤姫の夫の徳川家定は35歳のわかさで病死します。父・島津斉彬も相次いで亡くなりました。
その後、23歳で夫を亡くした篤姫は未亡人となり出家して天璋院と名乗るのです。
公武合体政策を推し進めた幕府の下、和宮が大奥に輿入れした時には、天璋院と和宮は武家と公家の習慣の違いもあって当初対立していました。
ですが、のちに和解しています。
後に徳川慶喜が大奥の改革に反対した時は、家茂の死後静寛院と名乗った和宮と共に異議を申し出たんだとか。
やがて戊辰戦争が始まると、天璋院と静寛院は、島津家や天皇に嘆願して、徳川の救済と慶喜の助命を申し出ています。
やがて江戸無血開城を前にして大奥から退きます。
その後は東京千駄ヶ谷の徳川宗家邸で暮らすようになり、悠々自適な生活をしながら、勝海舟や静寛院とも交流をしつつ、1883年11月20日に亡くなりました。
幕府と薩摩の対立が深くなっても、最期まで天璋院は薩摩に戻らなかったようですが、これは幕府のほうがよかった、ということなんでしょうか。
本来は従弟の関係でありながら、斉彬の養女となり、歴史の表舞台に立った篤姫です。
篤姫は島津家の分家筋として生まれましたが、どこかほかの人間とも違うし、利発だったからこそ斉彬は篤姫を見込んだのではないかとも思われますね。
本来は薩摩藩の意見が幕府に通りやすいように篤姫を将軍家定の元に輿入れさせたのです。
ですが、それがいけなかったのかどうか、薩摩と幕府の対立がどんどん激しくなってしまいます。
これは正直、斉彬にとっても篤姫にとっても計算外のことで、2人ともどうしていいのか分からなかったようにも思えます。
「ひょっとすると、薩摩と幕府は今後敵同士になるかもしれぬ。その時は己が信じる道を行け。父のことは案ずるに能わず。それでこそわが娘である」
高橋英樹さん演じる斉彬の遺言とも取れるドラマのこの言葉は、篤姫にとって一番の励ましになったのではないでしょうか。
西郷隆盛は篤姫の幼馴染である小松帯刀を介して、西郷自身の出世と自らの意見を通すことを試みていました。
ドラマでは篤姫と帯刀は親しかったように描かれていますが、実際の篤姫と帯刀は接点があったかどうかも分かりません。
まして下級武士の西郷においては疑問です。
武士の暮らしも疲弊していた幕末においては、下級武士でしかない西郷は篤姫にとってはよく知らずの武士です。
当初はむしろ小汚い人間として腹の中では見下していたのではないかと思われます。
やがて西郷がその利発さによって斉彬に見いだされた時には、篤姫はすでに大奥にいる状態で、手紙でしか情報を知ることが出来ない環境にいた気がしますね。
まとめると、篤姫にとって西郷隆盛は、成り上がり者の下級武士で、正直快く思っていなかったのが史実ではないでしょうか。
篤姫にとって、大奥が一番心地よかったかどうかは、正直、現代を生きる私達にはわかりません。
それでも、最終的には薩摩へ帰らず、最後まで幕府の一員として篤姫が過ごしたあたりは、篤姫にとって大奥はそれなりに思い入れの強い場所だったと思います。
おそらくそれには、夫となった家定の存在もあるでしょう。
「芋公方」「凡庸の中でももっとも下等」という評価もありますが、「気品あるいいお人だった」という評価もあったといわれます。
そのことで、篤姫は家定を気に入った可能性もあるのです。最期に帯刀が篤姫と囲碁をするシーンがあります。
「幕府に輿入れしなかったら、自分と添い遂げてくれたか」というセリフに対しての篤姫は「家定様に相談してみます」というセリフは、遠回しに帯刀を振ったのでしょうね。
と同時に「自分は薩摩の人間ではなく、幕府の人間であり大奥の人間」ということを象徴してたのではないでしょうか。
大奥に輿入れした篤姫に、教育係として接したのが幾島です。
幾島の父が薩摩藩主の側近でありましたから、結構篤姫と幾島は意気投合したのではないかと思われます。
教育は厳しかったにせよ、自分の出世のためだと、篤姫は受け入れたのではないでしょうか。
のちに江戸城と薩摩藩の連絡役や、江戸無血開城にも一役買ったという幾島のエピソードがあります。
篤姫は幾島を非常に信頼していたのではないかと思います。
鍼灸師であった曽祖父が、勝海舟の祖父のために幕臣の身分を金で買った「金上侍」の生まれである勝海舟。
せっかちで癇癪持ち、(かんしゃく)で、なおかつ成り上がり者である勝海舟ですが、幕府に見切りをつけていたのは確かなようです。
篤姫は薩摩の生まれでありながら、薩摩に敵対する幕府に輿入れしたという複雑な立場で会ったと思われます。
だからこそ史実の2人も、対立もすれば分かり合える人材ではなかったかと思われます。実際に篤姫と和宮の和解に関しては、勝海舟がそれに関する記録を描いているそうです。
(ほら癖の強い勝ゆえ、どこまで本当かは分かりませんが)
ただ、おそらく多くの人間は徳川に忠実を誓っている人間が多いから、ドラマのように簡単に城を明け渡さず、城を枕に討ち死にすべしという考えが多かったと思われます。
(家定が亡霊となって、残すべきは城でも徳川家でもなく、徳川の心という風に伝えておりますが・・・)
最終的には勝海舟の和平案に篤姫もしたがったとはいえ、結構不満は高かったかと思います。
(のちにこのやり方は「やせ我慢しないやり方」として福沢諭吉からも批判を浴びています。)
幕府の中には大久保一翁をはじめ、「幕府を守るために政権を朝廷に返上すべきだ」という意見もありました。が、、、
それでも極秘で薩長同盟を結んで幕府の脅威を作り、第二次長州戦争で幕府が大敗すると一転して幕府勢力温存のために大政奉還を提案したのが坂本龍馬です。
ややもすれば背腹定まらぬ龍馬に対して、幕府が龍馬を憎むのも当然なのかもしれません。まして大奥にいる人間は憎んでいたでしょう。
ドラマでは結果から逆算したこともあってか篤姫は龍馬に好意的でしたね。でも、大奥ような狭い世界で育ってきた史実の篤姫はどうだったのかとも思いますね。
歴代視聴率最高を記録した大河ドラマ2008年「篤姫」です。
「女の道は一本道」とあるように、まっすぐな思いが周りを感化させることが多かったからでしょう。
篤姫の放送は2008年(平成20年)でした。
平均視聴率は24.5%で最高視聴率は29.2%と非常に高く最低視聴率でも20.3%と20%を切ることはありませんでした。
この年は麻生内閣が発足し、バブルが崩壊、株価は7000円台と不安なことも多くあり、篤姫の素直な生き方に共鳴した大河ファンは多かったと思います。
次は、魅了的な宮崎あおいさんのプロフィールを紹介します。
「篤姫」や朝ドラ「純情きらり」「あさが来た」で人気を博した宮崎あおいさん。そのアヒル口の笑顔は誰もが癒されると思います。
その一方、「ツレがうつになりまして」では、ネガティブながら鬱病になった夫を自分主導で支える役を演じたり、
「神様のカルテ」では写真が趣味で医者として多忙な日々に追われる夫をいやす役など、演技の幅はとても広いのです。
1985年11月10日、東京出身。父親は元俳優の宮崎将さんです。本格的に女優業を始めたのは1999年のころ。
映画デビューは大林宣彦監督作品「あの、夏の日/とんでろ、じいちゃん」(1999年)で、その後雑誌『ピチレモン』のモデルとして人気となります。
2001年、映画初主演の「害虫」で、第23回ナント三大陸映画祭コンペティション部門主演女優賞を受賞(映画公開は2002年)。
2002年には、『EUREKA』で第16回高崎映画祭最優秀新人女優賞を受賞。またこの年は、BS-iの「ケータイ刑事 銭形愛」で連続テレビドラマに初主演しております。
2003年、初舞台で主演をつとめたミュージカル「星の王子さま」(白井晃さんが演出をしております)で、第41回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。
同年、アニメ「魔法遣いに大切なこと」で声優初挑戦もしています。
2005年に中島美嘉さんとのW主演で話題にもなった映画「NANA」で2005年度実写邦画観客動員数第2位、興行収入40億円の大ヒットとなり一気にブレイクすることになるのです。
4歳の時、母親の「思い出に残るように」という理由で子役デビュー。
CM(サントリー「緑水」、旭化成など)や雑誌を中心に活動し、ドラマや映画にも出演していたのですが、名前の付かないような脇役が多かったのです。
目が出るのは1997-1999年のころを待つことになるのです。
子役としてはサントリーの『緑水』、旭化成などに出演しているのですが、Youtubeなどを調べても当時のCMは残っていないようでしたが、見つけました。
初々しさを感じさせる鼻歌を歌いながら、大自然の中でのこぎりを引いたり釣りをしていたりする姿がかわいらしいです。
蒼井優さんとお風呂の中で、綺麗になるための秘密を語るシーンはセクシーですね。
アヒルと共演したシーンは非常に印象的ですね。ちなみに宮崎あおいさんはリンゴの皮向きが得意らしく、このCMで披露しています。
医者として人々の死に向き合う櫻井翔さん演じる主人公の妻役として出演。
悩む主人公に対して写真を撮りながらも遠回しに解答を共に模索していこうとするその姿と笑顔は、死という非常に重いテーマを持つこの作品の清涼剤になっております。
余命いくばくもないと宣告された佐藤健さん演じる主人公の恋人役として出演。
癒され系の役でありながらも、主人公の恋人としての記憶が亡くなって彼に戸惑うシーンは、人と人とのつながりについて、人間がどう生きるべきかについて非常に考えさせられます。
「篤姫」以来、堺雅人さんとの夫婦役での出演。
夫(=ツレ)がうつになって以降、本質はネガティブな役でありながらも夫のウツを緩和させるために必死に奔走していく姿は見ていて感動を覚えます。
ピアノをこよなく愛していながらも、激変する時代の中で、ジャズピアニストの夢をあきらめないながらも不本意ながら別のことを行っていきます。
最終的には不治の病である結核にかかるという悲劇のヒロインを演じる姿が印象的です。
メインヒロイン・波留さんとのダブルヒロインとなったこの作品。
主人公・あさとはちがって落ち着いた物腰で良妻賢母としてはふさわしい性格ながら、嫁ぎ先の商店が倒産したりと散々な目にあいつつも、懸命に生きていくその様は非常に印象的です。
宮崎あおいさんと言えば、篤姫と呼ぶほどに有名な作品ですね。
この大河ドラマは高視聴率を獲得し、歴代最年少で主演を勝ち取った宮崎さんの知名度を爆発的に上げました。
ただ本人は、「女優業に関しては演技が好きなわけではなく、嫌になったら辞める」と発言したことがあるそうです。
当時22歳1か月という、歴代最年少で大河ドラマの主演を射止めた宮崎あおいさん。
その演技力や、理想を求める一途な役回りも相まって、「朝日新聞」2019年2月2日付のbeランキング「忘れられない大河ドラマ」アンケート結果では、堂々の第1位となっております。
(第2位は「真田丸」、第3位は「独眼竜政宗」)
この大河ドラマの影響もあって、幕末の発掘が活発化し、幾島や小松帯刀が注目されることにもなったのです。
ブレイクのきっかけになった映画「NANA」以降、宮崎さんの知名度を広めるきっかけになったのは2006年主演の朝ドラ「純情きらり」でしょう。
様々な困難に立ち向かいながらも懸命に生きていくヒロイン・有森桜子を演じたことで、第44回ゴールデン・アロー賞放送賞(ドラマ部門)を受賞しております。
また2015年秋からの朝ドラ「あさが来た」でも、主演の波留とのダブル主演で姉の白岡はつの役を演じました。
嫁ぎ先の山王寺屋が没落するなど様々な困難に出くわしながらも乗り越えていく役を演じております。
趣味は写真で、特技はネイルアート。またリンゴの皮向きも得意で、アフラックのCMでそれをこなしています。
2007年6月15日、10代の頃から交際していた俳優の高岡蒼佑と結婚しますが、2011年12月28日に離婚しました。
2017年12月23日、V6の岡田准一と結婚(再婚)したことを、2人の連名によるFAXで発表しました。
挙式や披露宴や新婚旅行などの予定はないと発表されましたが、果たして?
2018年5月19日、ジャニーズ事務所により、第1子妊娠が公表され、同年10月16日、第1子男児出産を発表しました。
上記で述べたように、今のところ1人のようですが、これからどれだけ変化するかどうかわかりません。
温かい家庭を作ってほしいものですね。
2018年の調査によると、世田谷区岡本に家があるようですが、5億円規模の豪邸だそうです。地下1階、地上2階の防音耐震住宅で、広大な土地の半分は庭なんだとか。
令和元年にこの家に移り住み、近所との仲も良好だそうです。ブレイクしても慢心しないのがまたいいですね。
(余談ですが、サザエさんの家も世田谷にあるんだとか)
女優業の傍ら声優としても活動しており、特に細井守さん・スタジオ地図監督のアニメなどで声を当てております。
アニメ『バケモノの子』で多少ひねくれておりながらも、必死に強さを求める九太こと蓮の健気さを思わせる声は非常に印象的です。
また、『おおかみこどもの雨と雪』では母親の声を当てておりましたが、のちにそのコメントでは、
「子供を信じてあげて、雨と雪のように、全然違う性格の子供のペースに、自分がきちんと寄り添って、その子のサポートをしてあげられるような親になりたいです」
と言っております。それがかなえられるといいですね。
宮崎あおいさんは現在子育てを優先していて、お仕事はセーブしています。2020年はTBSの「新春ドラマ特別企画」の「あしたの家族」に出演しました。
引用:番組HPより
小野寺理紗(宮﨑あおい)は4年前の結婚式当日に新郎に逃げられた過去を持つが、今はすっかり立ち直り元気に暮らしていた。
父親の俊作(松重豊)は製菓会社の営業部長だったが、人事異動で別の部に配属される。
母親の真知子(松坂慶子)は明るい専業主婦だ。
3人は理紗が結婚したら理紗とその夫、そして両親が一緒に暮らすために建てた大きな二世帯住宅で暮らしていた。
このような設定で物語は始まります。久しぶりにみる宮崎あおいさんはとっても美しかったですね。
幕末から明治にかけて、篤姫と徳川慶喜以外の幕臣は維新後はほとんど没落し、幕臣の女たちも身売りされるなどの苦労が続いたようです。
篤姫が願った理想は、史実ではかなわなかったというのが事実でしょう。
それでも、なるべく誰も見捨てず、皆が救われる世の中を目指した篤姫の奮戦ぶりと、演じる宮崎あおいさんの笑顔に誰もが惹かれていったのは確かだと思います。
大河ドラマ「篤姫」歴代の大河ドラマの中で私は一番だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
大河ドラマ俱楽部の管理人です。
NHK大河ドラマをこよなく愛し毎週楽しみに視聴しています。
ただ視聴するだけでなく「あらすじと感想」を紹介しています。
でもリアルタイムで見ることができない時は見逃し配信で見たり
時々は歴代の大河も視聴しています。
管理人の大好きな大河ドラマをまとめていますので見逃し配信
と一緒に楽しんで下さい。
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