陣内孝則が「麒麟がくる」で演じる豪商で茶人・今井宗久とは?

麒麟がくるのキャスト今井宗久を演じるは陣内孝則さんです。

今井宗久は戦国大名の経済力・軍事力の要となっていた堺において、その実力者となっていました。

堺の商人衆・会合衆が信長に抵抗しようとする中、ただ一人織田信長に惹かれ、彼の経済的・軍事的バックアップを行っていくことになるのが今井宗久です。

麒麟がくるで演じるのは大河ドラマ『軍師官兵衛』で戦国三大梟雄・宇喜多直家を演じた陣内孝則さんです。

松永久秀と同じく、敵にも味方にもつくと考えられますが、どのような形で織田信長明智光秀とかかわってくるのでしょうか?

今回は今井宗久と麒麟がくるで関わる駒、光秀、信長の関係と演じる陣内孝則さんについて紹介します。

さて、「麒麟がくる」の見どころは各俳優(キャスト)が演じる役の活躍ですね。

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「麒麟がくる」で陣内孝則が演じる茶人・今井宗久の登場シーン。

27話「宗久の約束」で茶をたてる今井宗久。

陣内孝則の今井宗久が光秀に会います。

初登場は以前駒が駒の薬を転売していることを聞いてある住職に抗議をしている時にすれ違っていましたね。

この時代の茶席というのは、商売や政治的な交渉ごとを進める舞台でもあったようです。

「麒麟がくる」で陣内孝則が演じる豪商で茶人の今井宗久とは?

大和国今井村の出身であり、ばさら大名として有名な佐々木道誉を生み出した近江源氏の佐々木家の子孫とも呼ばれる宗久です。

宗久は堺に出て武野紹鴎に茶を学んだあと、娘婿となり、家財道具を次々譲り受けて金持ちとなっていきます。

1554年には大徳寺に170貫寄進するほどだったといわれています。

主に鎧兜の材料となる革製品を主に売買し、それによって材を集めて、数々の戦国大名とのつながりを深めていきました。

豪商で茶人の今井宗久と関係深い3名は?

  • 架空の人物で市政の人間でもある「」。
  • 麒麟がくるでは駒を介して「明智光秀」と会います。
  • 足利義昭の仲介で、「織田信長」と宗久は会うと思います。

豪商で茶人の今井宗久と駒の関係。

架空の人物で市政の人間でもあるが、登場当初から堺の実力者であった今井宗久の目に留まることは普通考えられません。

ですが、見ようによっては、京で一番の名医であった望月東庵の一番弟子で、なおかつ大ヒットしていた薬を生み出した人間ですから、宗久はに一目置いたのかもしれませんね。

宗久は駒の丸薬「芳仁丸」の製造スポンサーになるのです。

宗久はを介して光秀に出会いましたが、今後も宗久は駒を仲介役として、明智光秀にアドバイスをするものとも考えられます。

豪商で茶人の今井宗久と明智光秀。

史実で明智光秀と宗久がかかわっていたという記録はないのですけれども、麒麟がくるでは駒を介して光秀と会います。

宗久は帰蝶の伝で光秀を知り、明智光秀に一目置いていたようです。

ですが、今後光秀が幕府や京の腐敗した勢力を取り除いていく中で、光秀に対しブレーンとしてさまざまな策を享受する者とも考えられます。

かたや光秀も、信長が欲しがっている堺の実力者である宗久に対し、敬意を払って対応するものと思われます。

織田信長の矢税課税に対する堺の反発が描かれるかどうかはわかりませんが、もしドラマになった場合、明智光秀が宗久を説得するように仕向けると思うのです。

光秀に対して壁にもなる可能性がありますし、ブレーンとしてさまざまな策略を授ける可能性も考えられます。

豪商で茶人の今井宗久と織田信長。

信長と宗久が出会ったころには、すでに宗久は大商人として名をはせています。

織田信長足利義昭という神輿を担いで上洛した天下人として名を挙げていたものと思われます。

おそらく足利義昭の仲介で、信長と宗久は会うものと思われますね。

茶の湯の件で2人は意気投合します。

堺を支配するにあたって信長は宗久を配下として使い、堺の支配と織田家の経済力・軍事力のアップを図るものと考えられます。

もちろんギブアンドテイクになるものと思われますが、織田信長が宗久を配下として使う代わり、どんな報酬を宗久に与えるかが楽しみです。

豪商で茶人の今井宗久と幕府。

足利義昭とも茶の湯で交流し、織田信長の矢に対する課税に対しては、ほかの会合衆が反発する中ですぐにこれに応じたといわれています。

永禄11年(1568年)10月、上洛した信長と摂津西成郡芥川で相見え、名物・松島の葉茶壺や紹鴎茄子などを送り、義昭からも大蔵卿法印の位を授かります。

やがて信長が堺に対して矢銭2万貫を課した際に、会合衆たちが三好氏の力を背景に徹底抗戦の姿勢を見せます。

これに対し、この要求を受け入れるよう信長と他の会合衆との仲介を行いこれに成功します。

その代償として摂津住吉郡に2千2百石の領地をもらいます。

さらには、室町幕府の御料所(税をとるところ)の代官もつとめ、織田信長も彼を代官にすることで堺への支配への足掛かりにしたといわれております。

これ以降は信長に重んじられ、信長配下の商人としてさまざまな特権を得ます。

豪商で茶人の今井宗久の商人力。

永禄12年(1569年)には堺近くの摂津五ヶ庄の塩・塩製品の徴収権と代官職・淀川の通行権を得ます。

元亀元年(1570年)には長谷川宗仁とともに生野銀山などの但馬銀山の支配を任せられ、貨幣経済の浸透に貢献しました。

さらには、代官領に鍛冶屋を集めて、鉄砲や火薬の製造を行いました。

このようにして、宗久は会合衆の中でも抜きんでた存在となり、信長の天下統一を陰から支えていくのです。

また、茶人としても千利休らとともに優れた存在として名をはせました。

織田信長の死後は羽柴秀吉の話し相手を務め、また茶頭として天正15年(1587年)に秀吉が主催した聚楽第完成の際の茶の湯会にも協力をし、所蔵茶器が第4位を占めました。

文禄2年(1593年)に死去、享年73。

著作に茶会記録の『今井宗久茶湯書抜』や『今井宗久日記』など。墓所は堺市堺区の臨江寺にあります。

ちなみに、今井宗久が織田信長に信頼された「茶人」なら、秀吉をそばで支えた「茶聖」は千利休です。

「わび茶」の完成者で、秀吉の側近として諸大名に影響を与えましたが、最後は秀吉によって切腹を命じられます。

その理由は今も謎に包まれていますね。大河ドラマでは「真田丸」で登場しています。

「麒麟がくる」で茶人の今井宗久を演じる陣内孝則。

陣内孝則のプロフィール。

陣内孝則さんは1958年8月12日、福岡県大川市生まれ。

俳優の池松壮亮さんの母とは実家が近所の幼馴染で、父とも高校の同級生といわれています。

成績はとても優秀でした。

ですが福岡にライブハウスが多かったこともあり、陣内も高校時代からザ・ロッカーズのボーカルとしてバンド活動をし、1980年にメジャーデビュー。

しかしながらメンバーとの仲たがいで1982年に解散します。

陣内孝則の芸能活動。

その後は俳優活動に傾き、『爆裂都市 BURST CITY』(石井聰互監督)が俳優デビュー作です。

三上博史さん、柳葉敏郎さんからは「ボス」と呼ばれるようになります。いつの間にか一般的に広まりボスの愛称が定着します。

1987年、梶間俊一監督の映画「ちょうちん」に主演しブルーリボン賞と報知映画賞の主演男優賞を受賞しております。

コミカルな役から重厚な役まで様々な役を演じます。

ですが、実際はひょうきんな性格で、バラエティ番組にも積極的に出演しています。

お笑い芸人並に喋るチャンスを窺っており、笑いに非常に貪欲です。

2002年の香取慎吾さん主演のドラマ『人にやさしく』では、主人公3人の理解者でありながらも、結局は刑事との使命を優先させる重要な役どころを演じております。

陣内孝則の私生活。

私生活では1987年に、資生堂キャンペーンアイドルグループのシャワーの元メンバーでモデルの秋山絵梨子(現・陣内恵理子)さんと結婚します。

2018年には「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2018」に選ばれ結婚会見以来31年ぶりに夫婦揃ってメディアの前に登場しております。

陣内孝則の大河ドラマ。

『毛利元就』で陶晴賢を演じたときは、武勇と天下統一を目指すという崇高な心を持ちながら、結局は謀反人となり、最終的に一騎打ちで敗れる姿が印象的でした。

大河ドラマは『独眼竜政宗』『太平記』『毛利元就』『軍師官兵衛』に続き5作目の出演となります。

麒麟がくると同じ池端俊策さんが脚本を務めた大河ドラマ『太平記』では、今井宗久の先祖ともいわれる佐々木道誉を演じており、陣内さんは『運命じみたものを感じる』と言っております。

まとめ。

のちに信長の経済力と軍事力を陰から支えることになる大商人・今井宗久。

光秀に対しては、織田信長の堺への支配を妨害する壁になるとも、京の堕落した勢力を除去するうえで策を授けるブレーンになるとも考えられます。

戦国三大梟雄である宇喜多直家の豪胆さと非情さを演じた陣内孝則さんが、今井宗久の風流さとしたたかさをどう演じるか?

とても楽しみですね。