大河ドラマ2025年「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で片岡鶴太郎(キャスト)が演じる「鳥山石燕(とりやま・せきえん)」を紹介します。
「べらぼう」は大河ドラマでは珍しい江戸時代中期の物語です。ですので、「鳥山石燕」を知らない大河ファンも多いと思います。
「鳥山石燕」は江戸時代中期の画家であり、浮世絵師で、妖怪画を多く描いたことで世に知られています。
「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎とどこで会うのでしょうか?
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さて、片岡鶴太郎の大河ドラマは「べらぼう」で7作品目です。直近では「麒麟がくる」で室町幕府内の摂津晴門を演じました。
「べらぼう」では、どんな鳥山石燕を魅せてくれたのか?「麒麟がくる」から想像するとやはり一癖ある人物ではないでしょうか。
「べらぼう 」で片岡鶴太郎(キャスト)が演じる役は鳥山石燕。
鳥山石燕とは。
鳥山石燕は、江戸時代中期の画家で浮世絵師です。妖怪画を多く描いたことで世に知られています。幕府の御坊主の家に生まれ、姓は佐野、名は豊房(とよふさ)です。
一枚絵はありません。
絵俳書の挿絵や絵本、肉筆画、絵馬や扁額の制作を手がけ、特に浅草観音堂に女形中村喜代三郎の似顔絵の絵馬を奉納した逸話は有名です。
石燕には、俳諧の余技があり、多くの絵俳書に挿絵、または句を載せ、東柳窓燕志(とうりゅうそうえんし)の社中への関与が指摘されています。
石燕の関与した版本には儒者の入江北海や千葉芸閣らが序を寄せ、また大田南畝らとの交友が伝えられています。
鳥山石燕と蔦重の接点。
天明4年(1784年)に「通俗画図勢勇談」を蔦重(耕書堂)から発行します。
鳥山石燕の門下生。
歌麿の狂歌本「画本虫撰」の跋(末尾に記す文)を石燕が記すなど石燕とその門人と蔦重の深い関わりが見てとれます。
鳥山石燕の最期を描いた35話。
曇天に、人の声に似た雷鳴が響きわたるその頃、鳥山石燕は庭に羽織を着た男を目にしました。その羽織は、源内と同じ模様でした。
そうです 「幻想(まぼろし)として源内を見る」 という演出で、その静かなる鳥山石燕の最期を歌麿が妻となる・きよを連れて蔦重に報告するのです。
⇒大河ドラマ2025年「べらぼう」第35話「間違凧文武二道」のあらすじ(ネタバレ)と感想。
鳥山石燕の幻想の意味。
鳥山石燕(とりやま せきえん)は、史実では“妖怪を絵として体系化した絵師”として知られる人物です。
『画図百鬼夜行』などで、口伝や噂話の中にいた怪異を「見える形」にしてしています。現代風に言えば「見える化」ですね。
つまり石燕は、江戸の人々が抱えていた不安や好奇心を、紙の上に定着させた“想像力の職人”なんですよね。
幻想は「怪談」じゃなく「石燕の視線」
35話の“庭の幻”が示している幻は「怪談」じゃなく「石燕の視線」そのもので、石燕は生涯、妖怪を“本当にいる/いない”で裁いていないんです。
「人が見てしまうもの、信じてしまうものを、絵にして残す」
だから最期に見えた「庭に羽織の男」は、怖がらせるための幽霊ではなく、石燕が最後まで手放さなかった“見る力”の結晶なのです。
なぜ「庭」なのか
庭って、家の内でも外でもない“あわい”の場所ですよね。現実と非現実、生と死、過去と現在、その境目に立たされる場所だと思うのです。
そこに「源内」を立たせることで、ドラマは この世とあの世の境界 を強調します。石燕が描いてきた妖怪も、まさに“境界”に棲む存在だからです。
なぜ「羽織の男」なのか
(源内らしさ)の演出だと思います。
源内は作中でも、型破りで、理屈っぽいのに情があって、実在と虚構の間を行き来する人として描かれました。
石燕の目に映る源内は、きっと 「亡霊」ではなく「記憶が生んだ姿」。
羽織姿で“ふいに庭に立っている”くらいがちょうどいい。説明しすぎないぶん、石燕の胸に残った源内の存在感が滲むからでしょうか。
「べらぼう」で演じるキャストの一覧はこちら。
⇒大河ドラマ2025年「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の出演俳優(キャスト)の配役一覧。
まとめ。
「石燕の死」は「江戸の想像力の継承」を描いています。石燕が見た源内は、石燕個人の回想であると同時に、作中世界のテーマとも繋がります。
源内=「奇想」「発明」「戯れ」「都市の噂を増幅させる装置」
石燕=「噂や怪異を“絵”にして定着させる装置」
蔦重(耕書堂)=「それを“本”として流通させる装置」
つまり35話の石燕の最期は、源内の“火種”が、石燕の“絵”を通って、蔦重たちの“出版”に渡されていくという、見えないバトンの受け渡しにも見えるんです。
石燕は最期の瞬間、死の恐怖に飲まれるのではなく、自分が一生見つめ続けた「この世のほころび」
「人の心が生む幻」や、「夜の噂」や、「名もない不安」それらの象徴として、庭に立つ源内を見たのだと思います。
そしてそれは、「まだ終わらないぞ」 という源内の声ではなく、石燕自身の中に残り続ける“源内という想像力”が、ふっと姿を結んだ、そんな静かな演出だったのでしょうね。
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