「青天を衝け」で深川麻衣さんが演じるキャスト「和宮」とは孝明天皇の妹で自身の「意思に反する形」で江戸幕府第14代将軍・徳川家茂に輿入れします。
それはなぜか?
幕府は天皇の意向を無視して外国と通商条約を結びますが、これに反発する人間を強引に罰しようとした井伊直弼が桜田門外の変で攘夷志士に暗殺されてしまいます。
これ以降、幕府は天皇家と、彼らを支持する尊攘志士たちを無視できなくなり、妥協案として挙がったのが、将軍家と天皇家を接近させる「公武合体」案でした。
「青天を衝け」では深川麻衣さんが演じますが、個人的には『篤姫』で堀北真希さんが演じた陰のある和宮がお気に入りです。
それでは、悲劇のヒロイン・和宮をご紹介します。
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「青天を衝け」で深川麻衣が演じるキャスト和宮とは?。
🔵第9回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
孝明天皇の妹宮。幼いころより許婚がいたにもかかわらず、幕府が目指す公武合体の象徴として、将軍・家茂との縁組みが浮上。固辞するもかなわず、泣く泣く降嫁した。しかし家茂の誠実な人柄に触れ、次第に心を開いていく。 pic.twitter.com/p2fGrB2VJ0
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) April 10, 2021
和宮親子内親王(静寛院)は1846年7月3日、第120代天皇である仁孝天皇の八女として京都で生まれました。
父親が彼女の生まれる前に亡くなったので、和宮の名は母違いの兄である孝明天皇によって、6日後に名づけられました。
京都御所の東側にある母親の実家で教育された後、1851年、のちに福岡県知事となる皇族・有栖川宮熾仁親王と婚約し、和宮自身もそれを望んでいたようでした。
和宮の輿入れ。
しかしながら、「青天を衝け第8話」で栄一と千代が結婚するころ安政の大獄、桜田門外の変と次々と事件が起こります。
天皇家の意向を無視してきた井伊直弼が討たれると、幕府は天皇家との結びつきを強くするために、和宮を次期将軍・徳川家茂の嫁にするよう孝明天皇に圧力をかけます。
すでに和宮に婚約者がいることもあって、孝明天皇も和宮も反対でした。
ですが、最終的には幕府の『和宮を家茂に輿入れさせれば、天皇の意向である攘夷を決行する』という妥協案に折れて、公武合体を進めていくことを決意するのです。
この時に和宮は、以下の5つの条件を出しているようです。
- 父・仁孝天皇の十七回忌の後に関東に下向し、以後も回忌ごとに上洛させること。
- 大奥に入っても、万事は御所の流儀を守ること。
- 御所の女官を側近とすること。
- 御用の際には伯父・橋本実麗を江戸に向かわせること。
- 御用の際には大奥の人間を上洛させること。
まとめると、『大奥に入っても、自分は天皇家の流儀と側近を持ってやっていく』ということです。
それまで武家流で大奥を取り仕切っていた姑・篤姫がそれになじむことが出来ず、そのことで篤姫と和宮が対立していったことは想像に難くないでしょう。
和宮のだんなは家茂。
家茂と和宮の結婚は今までの将軍結婚とは違い、天皇家の和宮が主人、家茂が客分として行われたといわれています。
しかし「家茂も和宮」も、幕府と天皇家の公武合体と攘夷論に振り回された悲劇の人間といえなくもありません。
家茂は和宮以外に側室を置かず、夫婦仲は非常に良かったといわれています。
和宮は篤姫を含む大奥とは明治時代になるまで対立していたという話ですから、家茂の存在が非常に癒しの種になっていたのは確かでしょう。
「惜しましな君と民とのためならば身は武蔵野の露と消ゆとも」
これは家茂に嫁入りするときに詠んだ歌とされています。
ですが、実際は文久3年の家茂上洛中に詠んだというのが事実のようで、この歌の『君』とは、孝明天皇のことではなく、家茂のことだともとれるのです。
しかしわずか5年の夫婦生活の後、1865年7月に家茂は脚気で亡くなります。
家茂の死後、和宮は出家して『静寛院(せいかんいん)』と名乗るようになります。
和宮と篤姫の関係は?
ドラマ『大奥』の題材に何かとなりやすい和宮と篤姫(天璋院)の関係です。
実際和宮が大奥に入った当初は、和宮と篤姫の中はかなり悪く、篤姫は上座で会釈も礼もせず、和宮の座には敷物も用意されなかったといわれています。
篤姫は和宮を嫌っていたというより恐れていたのではないか?と私は思います。
というのは、幕府からもにらまれた島津家の分家筋に篤姫は生まれ、島津斉彬の政治力を増すためとはいえ将軍家に輿入れします。
大奥と権力の頂点に立った途端に夫・家定が亡くなり、さらには天皇家の生まれである和宮が大奥に輿入れすることになったわけですよね。
おそらく、自分の立場が危うくなるという恐怖は少なからずあったのではないかと思うのです。
そして何より二人を対立させたのが、先ほど述べた嫁入りの5つの条件と、武士の習慣と公家の習慣との違いですよね。
薩摩の片田舎に生まれた篤姫と、千年の古都・京都で育ってきた和宮。
態度物腰も言葉遣いも全く異なっていたものと思われ、気風が合わないことは想像するに難くなかったでしょう。
しかし慶喜の大奥改革の時には2人はそろって反対したりしています。
戊辰戦争の時には天璋院を介して和宮が慶喜助命嘆願書を新政府に送るなど、政治的な行動においては2人は息がぴったりだったといえなくもありません。
明治時代になって幕府がなくなると、2人は完全に和解し、勝海舟の家で一緒に昼食をとり、お互いの茶碗にご飯を持ったともいわれています。
和宮の最期は?
戊辰戦争の時には、和宮は慶喜の新政府軍に対する恭順を示す手紙を天璋院を介して送るなど、慶喜の助命嘆願に必死になったといわれています。
やがて戊辰戦争が終わると、新政府からの頼みもあって、和宮は1869年1月、京都に帰り、甥であった明治天皇と対面します。
しばらくの間京都に住んだ後、天皇が移り住むことになった江戸改め東京に行くことを決め、1874年7月に東京に行きます。
麻布に住みながら、天皇の一族・および天璋院とも幅広く交流しながら過ごしていったのです。
ですが、このころから彼女は家茂と同じ脚気にむしばまれるようになりました(家茂と同じ甘いお菓子が好物で、それが脚気を悪化させたともいわれています)。
1877年7月、箱根塔ノ沢温泉に行ったりもしています。
そして1877年9月2日、脚気のため療養先の箱根塔ノ沢で亡くなりました。32歳でした。
墓は夫の家茂と同じ東京都港区の増上寺にあります。
深川麻衣さん他の大河ドラマ出演
2015年の「花燃ゆ」で第29話(2015年7月19日)奥女中 役として出演しています。
深川麻衣とは?
1991年〈平成3年〉3月29日生まれ、女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバーです。
静岡県磐田市の出身で身長は162cm、血液型はO型です。
まとめ。
青天を衝けでも、和宮は大奥の代表として出演です。大奥は徳川慶喜の改革に反対して彼と対立することになるのです。
その中で和宮がどのようなポジションを取るのか、篤姫との関係はどのようになるのか、序盤では解りませんが後半では慶喜を助けることでしょう。
渋沢栄一は慶喜の側近として活躍。和宮は気品はあるが保守的な人間として描かれることにはなるのでしょう。
(一回の農民である栄一と天皇家の人間である和宮が会うことはまずないとは思うのですが)
一方、徳川慶喜にとって、和宮は敬愛すべき天皇家の人間です。
改革を断行しようとする慶喜には、和宮の言が常に付きまとうものだと思います。
主要人物か端役かはわかりませんが、青天を衝けの和宮に非常に期待しながら視聴しています。
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