青天を衝けはいよいよ明治編です。

青天を衝け第24話「パリの御一新」視聴後の感想。そして戊辰戦争とは?

2021年青天を衝(つ)け
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青天を衝け第24話「パリの御一新」のあらすじと感想です。遂に戊辰戦争勃発ですね。

「青天を衝け」は明治維新に入りました。慶応4年明治元年(1868年)です。

フランスの日本に対する借款も無くなり、幕府財政が貧窮する中でも、なんとか篤太夫や昭武は、ヨーロッパの留学を続けていました。

しかし慶喜が大政奉還を宣言してから、王政復古の大号令、そして戊辰戦争と、日本は動乱の中へ突入していくのです。

その情報がやがて篤太夫たちのもとに届き、篤太夫も動揺を隠しきれなくなりつつも、引き続き欧米の経済や政治のシステムについて勉強していきます。

放送:8月15日
視聴率:14.3%

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先週は⇒青天を衝けのあらすじと感想。第23話「篤太夫と最後の将軍」

青天を衝け第24話「パリの御一新」視聴後の感想。パリで新年。

徳川慶喜が大政奉還を行ったという知らせは、パリの篤太夫たちにも届きます。

天下が徳川のものではなくなり、制度ががらりと変わることは、篤太夫たちにも薄々感じられたのでしょう。

もちろん慶喜の腹の中は、天皇を神輿に担ぎ上げ、自分が大君として引き続き政治を動かそうという魂胆だったのですが、もちろん篤太夫たちは知る由もなしです。

幕臣として、自分たちの留学、および自分たちのこの先の身の振り方をどうしていくかが読めず、不安であったものと思います。

そんな中、篤太夫の唯一の癒しは、家族の手紙だったでしょう。

そしてそれは、昭武も。

篤太夫が証券取引所へ。

後に大阪証券取引所を開設し、日本の経済発展に尽力する篤太夫ですが、そのすべての根幹は、このヨーロッパでの留学にあると思うのです。

すでに篤太夫は、市井の人間が金を出すことで国を発展できる欧米のシステムに感銘を受けていました。

篤太夫は債券のほか、株など様々な有価証券のシステムについて学び、その効率的な経済の発展の仕方について理解していったものと思うのです。

ちなみに債券は、銀行や郵便の預貯金と同じで、国や会社に(預金は銀行に、貯金は郵便に)貸し付け、新しい事業を始めさせて、いずれは利子付きで返してもらうシステムです。

篤太夫は、欧米のシステムを徹底的に学ぶことで、今日にもつながる有価証券のシステムを作っていったものと考えられるのです。

[char no=”52″ char=”渋沢栄一”]小さな金一滴一滴が集まり、大きな事業を達成できる。トレビアンな方法だ[/char]

一人一人の金を集めることで大きな事業を達成できるという資本主義社会のシステムは、篤太夫にとってはまさに『おかしれえ』ことだったのかもしれません。

最初は単純な尊王攘夷倒幕運動からはじまった栄一ですが、

夷狄と軽蔑していた国のシステムの合理性と恩恵を皆に集めるシステムについて知り、それを広めようとすることになるのは皮肉というしかありませんが。

篤太夫と昭武。昭武の本心は・・・

戊辰戦争における旧幕府軍の劣勢についての情報が、次々とパリにも届く中、篤太夫たちの不安はさらに高まっていきます。

慶喜の昭武に対する手紙は『内輪で抗争している暇は日本にはない故、新政府軍に恭順することにした』

でしたが、慶喜の本心はどこにあったのかはわかりません。ただただ朝敵になるのが怖くて逃げたのかもしれません。

彼らにとっての御一新は『慶喜ら幕府勢力のいない、全く新しい政治体制』であり、不安極まりなかったものと思います。

さらには水戸藩の混乱の中で、水戸藩主・慶篤が病死し、朝廷の命令から昭武が次期藩主となるよう命令が届きます。

おそらく昭武は先の見えない中で、引き続き学問を続けていきたいと本心では考えていたのでしょう。

ですが、水戸徳川家の人間としての使命感が、それを許さなかったのだと思います。

自分が藩主として水戸藩を統率しなければいけないと思ったのでしょう。

しかしながら水戸藩は、戊辰戦争の時期大混乱に陥っていました。

水戸藩は天狗党の壊滅以降、保守派の諸生党が天狗党の家族をことごとく処刑した挙句政権を担っていました。

ですが、戊辰戦争以降力関係が逆転し、武田耕雲斎の孫・金次郎ら天狗党残党によって諸生党の人間・およびその家族までもが白昼堂々暗殺されるという出来事が起こります。

弘道館戦争もあって水戸藩は混乱を極め、その中で藩主・慶篤は病死してしまいます。

後に水戸藩は、このような藩内抗争で多数の人材を失ってしまったため、明治政府の要職に就く人間はいなかったのです。

昭武が水戸が怖いといったのも、このような過激で不毛な争いを起こす藩士を自分自身には束ねる力がないと分かっていたからでしょう。

結局留学をあきらめ、昭武は帰国後の翌年水戸藩主になりますが、度重なる抗争で人材のほとんどを失った水戸藩を抑えながら治世を行っていくのは非常に難しかったと思われます。

明治になって版籍奉還・廃藩置県が行われると、昭武は陸軍少尉となり、教官として軍隊の育成に努めるのです。

藩主としては今一つでも、教官としては才があったものと思われますね。

青天を衝け第24話「パリの御一新」視聴後の感想。戊辰戦争。

いよいよ戊辰戦争が勃発し、渋沢成一郎、尾高惇忠、渋沢平九郎も旧幕府軍として巻き込まれ、その中で平九郎も最期を遂げることになるのです。

成一郎と篤太夫が、当初は尊王攘夷倒幕を唱えつつも、最終的には一橋家家臣、続いて幕臣に出世した中で、このような悲劇は、彼らも思ってもいなかったものと考えられます。

混乱の中で、獄中の尾高長七郎も解放されましたが、すでに戦争に参加するだけの体力も気力もなく、ほどなくして病死することになるのです。

戊辰戦争とは?

戊辰戦争は、大政奉還を名目に政権維持をもくろんだ慶喜に対し、薩長が王政復興の大号令を出して慶喜を政権から排除。

これに怒った慶喜ら旧幕府側が鳥羽伏見の戦いで新政府軍と激突して起こった、日本を二分する大戦争でした。

渋沢成一郎は将軍警護を主張し、志を同じくする幕臣たちを集め、1868年、上野で蟄居中の慶喜を神輿に担ぎ上げ彰義隊を結成。

尾高惇忠や渋沢平九郎の他、元新選組10番隊組長・原田左之助などの面々を集めます。

しかし慶喜が上野から水戸に落ち延びて再び蟄居すると、徹底抗戦を主張する部下との意見対立から、成一郎、惇忠、平九郎は彰義隊を脱退。

518日に武蔵国飯能で彼らは官軍に敗れ、成一郎と惇忠とはぐれた平九郎は戦死。罪人としてその首を今市宿にさらされることになるのです。

成一郎と惇忠は榎本武揚率いる旧幕府軍と合流。函館戦争に参加します。

しかし函館戦争終結直前の1869515日に旧幕府軍を脱走、湯の川方面に潜伏したものの、1か月後の618日、出頭・投降しました。

その後、東京の軍務官糾問所に投獄されています。

篤太夫が身元引受人として赦免されなければ、成一郎はそのまま獄中で一生を終えていたかもしれません。

成一郎や平九郎の戊辰戦争での顛末を見ていると、戊辰戦争は天皇を神輿に担ぎ上げた薩長の、旧幕府に対するクーデターとみられても仕方ないような気がします。

まとめ。

未練と不安を残しつつ、昭武と篤太夫たちはフランスから日本に帰国します。

しかしながら、見立て養子にしていた平九郎の死を、篤太夫は知ることになると考えられます。

自分がついていながら、平九郎を守ることのできなかった成一郎の後悔は、非常に大きなものと考えられるのです。

篤太夫も悲しみに暮れ、幕府勢力が一掃された中で先の見えない不安を過ごすことになると思われるのですが、そのなかで

『これからですよ、わしら商人の戦いは』

という言葉がどのような形で発せられ、篤太夫に影響を与えるのか、気になるところであります。

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次週は⇒青天を衝け第25話「篤太夫、帰国する」のあらすじと視聴後の感想。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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