「鎌倉殿の13人」第19話「果たせぬ凱旋」ついに義経逃亡。
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「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」あらすじ(ネタバレ)と感想。

2022年鎌倉殿の13人
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「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」あらすじ(ネタバレ)は頼朝が義時に「義高を討て」と命じることで鎌倉に再び暗雲が立ち込めるのです。

「三日やろう。義高を討て」頼朝は、義高を討つことを冷ややかに義時に命じるのです。

頼朝は義仲を討伐したことで、必ずや息子である義高が謀反を企てると考えたのでした。

一方、寿永3年(1184)2月、一の谷の戦いで平家軍を破った源義経は、後白河法皇から功績を与えられました。

義仲討伐に成功した義経は、法皇からの覚えもめでたく意気揚々です。

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「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」あらすじ(ネタバレ)。

放送:5月1日
視聴率:12.5%(▼0.4%)

義仲の嫡男・義高を危険視する源頼朝は、戦勝報告のため源範頼と共に鎌倉へ戻っていた北条義時に木曽義高の処断を命令します。

「三日やろう。義高を討て」。頼朝の命を受けた義時は、重い心のまま義高を幽閉します。

17話「助命と宿命」も三谷幸喜の脚本術が光った「鎌倉殿の13人」でした。

史実(吾妻鑑)の隙間を縫って、視聴者の心を最も効果的に揺さぶるフィクションに仕立ててハラハラドキドキの45分。

そして義時の目が今までとは違う目になっていました。これからもっともっと恐ろしいことが起きるぞと言っている目です。

それにしても視聴率は低迷しています。恐ろしいことが起こる週はやはり下がってしまうのでしょうか?

義時の父・時政は。

つらい役目を渡された義時に、父・時政が言います。

「上総の介殿の一件で鎌倉殿は腹をくくられた。あの方に逆らってはこの鎌倉で生きては行けん」

同時にこの役目は、義時の忠義心、乱世をまとめ上げ源氏の棟梁となる頼朝の傍にいるべき人間かどうかを試されているものでもありました。

「人の世を治めるには鬼にならねばならぬ。奴にはそれをわかってもらう」頼朝は大江にそう言い、黙して義時の動きをみていたのです。

政子の助命。

頼朝は政子に対し、父・義朝が平家に殺された恨みは20年経っても消えることはないと言います。

武士にとって、父を殺された恨みはそれほど深いのだと。

そして「あやつの恨みは必ず万寿に降りかかる」と言い義高を許すことはありませんでした。

政子の義高脱出計画。

政子は義高を伊豆山権現にかくまうことを提案し、政子によって義高を逃がす企てが実行されます。

義高が討たれる事を知った政子は、承服できず頼朝に直談判しましたが受け入れられませんでした。

諦めきれない政子は、義時の制止を振り切り幽閉されている義高に会いに行き、伊豆山権現に匿ってもらうよう算段を整えるのです。

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「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」あらすじ。義高の最期。

頼朝と敵対していた武田信義と息子の一条忠頼が鎌倉を訪ね一の谷で戦った恩賞を頼朝に願うのですが、頼朝は受け入れることはしません。

その後、2人は義高が幽閉されたことを知ってある策を思いつくのです。

その策とは信義と信義の子・忠頼は“共に頼朝を討とう”と義高を誘うことでした。しかし義高は断ります。

義時は巴御前と再会

義仲の命で落ちのびた巴御前は、和田義盛らに捕えられていました。

巴御前:「わたくし一人、生き恥をさらしております」

そして、義仲から託された義高宛の文を義時に渡すのです。

義時:「木曽殿は、鎌倉殿を仇と思うなと諭されておられます。これ以上、源氏同士で争ってはならぬと」

巴御前:「義仲様は申されました。自分が亡き後、平家討伐をなせるのは、鎌倉殿しかいない。義高様には生きて、源氏の悲願成就を見届けてほしいと」・・・

しかし、その願いが叶うこともなく義高の運命は悲しくも散るのでした。週タイトルの「宿命」ですかね。

巴御前は和田義盛の妻になるようですが、この後も登場してほしい人物ですね。三谷さんの脚本だよりですが。

義高はその時。

なんとか義高の命を助けようとする政子に、義高は毅然と言い放ちました。義高は年端もいかぬ12歳でした。

「私は鎌倉殿を決して許しはしない。機会さえあれば軍勢を引き連れあの方の首を獲るつもりでいます」

その怒りの矛先は、父・義仲を救おうとしなかった義時にも向きました。

「私を生かしておいても皆さんのためにはなりません。こうなってしまった以上、一刻も早くこの首をとることをお勧めします」

怒りの中でも何かを覚悟しているような義高の言葉を、義時はただただ沈痛な面持ちで聞くのでした。

しかし、和田義盛に捕らえられた巴御前からの渡された父・義仲の文を読み頼朝を憎まず生きることを決心します。

義高が伊豆山権現へ?

武田親子が義高の元を訪れた事が頼朝の耳に入り、監禁部屋の見張りが強化されてしまいます。

義時たちはすぐさま義高を伊豆山権現に逃げる手筈を整えました。

政子たちは作戦の変更を余儀なくされ、実衣の夫である全成が、なんと頼朝になりすまして見張り役を騙し、監禁部屋に入る事に。

一緒に入った実衣が義高を女装させ外に連れ出します。

その先には八重が待っていて、八重の侍女に紛れさせて御所から出る事に成功しました。

義高は政子たちの計画で鎌倉から脱出することができ、三浦が手配したある寺に避難します。

そのことをまだ知らない一条忠頼が義高に会いに行きますが、そこにいたのは義高の身代わりでした。

そこで、義高が逃げ出したことが露見してしまいます。

義高が消えたことを知った頼朝は、御家人たちに「見つけ次第、首をはねよ」と命令。

この「見つけ次第、首をはねよ」がより大きな事件となって展開していきます。

義高が避難場所から逃げ出す。

義高は三浦が手配した一時の避難場所である寺から逃げ出していました。

義時に「あなたのことを信じることができない」という文を残して故郷である信濃へ向かっていたのです。

信濃の方角には、義高を伊豆山権現に逃がすために時間稼ぎに向かわせた兵たちがひしめき合っています。

義高は藤内光澄に見つかり、その首を落とされてしまいました。

大姫と政子が頼朝に願うが、その時!

義高が殺されることを知った頼朝の娘・大姫は、隠し持っていた小刀を自分の喉に突きつけ「冠者殿(義高)がいなくなったら、私も死にます」

と命懸けの懇願をし、政子も手をついて願うのです。

根負けした頼朝は、義高を殺さず捕まえるだけにすると約束し、御家人たちにもそう伝えるよう命を出しました。しかし・・・。

政子に促された頼朝が、義高を殺さないと一筆を書かされているところに首桶を手にした男が入ってきて晴れやかに宣言しました。

「謀反人、源義高。この藤内光澄が討ち取りました!」 義高の命は、間に合わなかったのです。

これは天命であると諭す頼朝に、御台所政子はその首桶を見て「断じて許しません」と声を震わせました。

これが後々また事件を起こすのです。

頼朝の命で義時の覚悟。

御台所である政子の言葉を重く、それを受け止めた頼朝は光澄の首をはねるよう義時に命じます。

それは出来ないと義時は逆らいますが、時政とりくに諭されます。

鎌倉殿に逆らうという事は、死を意味する事。「あなたのお命は、もうあなたのものだけではないのですよ」

りくの言葉に、義時はただ黙る事しか出来ませんでした。やがて義時は、光澄の首をはね、それを政子に報告します。

「ご覧になりたければ片瀬川に晒してあります」淡々と言う義時に、政子は動揺を隠せません。

「殺せなどと言った覚えはありません」「姉上は、結して許さぬと申された。鎌倉殿もそれを重く受けとられた。

姉上、あなたの許さぬということは、そういうことなのです」

もうかつての自分達ではないのだ…そう言う義時の言葉を、政子も受け止めるしかないのでした。

今や昔の北条家ではないことを自分たちの言動によって多くの人の命を左右してしまう。

そんな「宿命」にあることを、二人は自覚するのです。

武田親子の宿命。

武田信義の子・一条忠頼の謀反?

元暦元年(1184)6月16日、一条忠頼は頼朝の前で殺されます。忠頼もなんで殺されるのか?

疑問だったと思いますが、一瞬の出来事でした。

史実では酒宴に招かれたところ、天野遠景らに討たれたとのことです。

では、忠頼が殺害された背景には、どのような事情があったのでしょうか?

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に「威勢を振ふの余りに、世を濫る志を挿む」と書かれています。

頼朝への謀反を画策していたのは確かなようですね。義高に挙兵を進言した武田信義の息子・一条忠頼を謀反の罪で死罪。

武田信義の起請文。

17話エンディング近くで信義は義時に向かって「子々孫々まで弓引くこと有るまじ」との「起請文」を読み上げるシーンがありましたね。

このシーンを深堀すれば頼朝が信義に強い警戒心を抱いたのは確かでしょう。

甲斐武田家は代々受け継がれあの名将・武田信玄を生み出し信玄の子・勝頼で武田家は滅びます。

勝頼もまた身内の裏切りによってはかなくも父の後を受け継ぐことができませんでした。

「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」あらすじ。義経は。

義経と里の婚姻。

源氏と比企家のつながりはさらに深まろうとしていました。それを聞いた時政は・・・

義経の留守中に、鎌倉では、義経と比企の姪の婚姻が決まりました。

義経が戻り次第にぎにぎしく婚礼の儀が執り行われる予定です。

義経と静御前が出会う。

しなやかに舞う静御前に目を奪われた義経がいました。義経は、義仲討伐の褒美として法皇より検非違使を任命されました。

大喜びの義経の任官前祝いにと法皇は白拍子を遣わします。

紅と白の衣装を身に纏い、雅やかに舞う白拍子の一人・静に目を奪われてしまうのでした。

「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」あらすじ。八重の想い。

第17話のイントロで八重は義時にあるお願いをしていましたね。

八重:「鎌倉は立派になりましたが、捨て子や孤児も目にします。その子らを助けてやりたいのです。

この地で、これからもむごい命のやり取りがあるのなら、私はせめて子どもたちを救いたいと思うのです」と、

自分の息子と三浦の息子を育てながらこれから鎌倉で起きる悲惨なことを想像し義時の気持ちにも寄り添いたいのでしょう。

このくだりはもちろん三谷フィクションですが、義時が頼朝の惨い命を実行しながら頼朝から政治の虚しさを受け継いでいくクッションなのかもしれません。

「鎌倉殿の13人」第17話「助命と宿命」の感想。

鎌倉がまた地獄と化す「助命と宿命」でした。史実を知っている大河ファンは義高の最期はご存じだと思います。

しかし義高に謀反を持ちかけた一条忠頼が頼朝の前で殺されるのか?、

義高の首を取った藤内光澄がなぜ死罪となり処刑されてしまうのか?

第17話は3名の武士が「頼朝の命」で死に息を呑む展開でしたね。

ドラマが始まったばかりの頃は、北条義時は18歳、本当に田舎の若武者でした。

武者と言っていいのかわからないくらい平和な暮らしをしていた北条家の人々でした。

家族も和気藹藹でのんびりとしていたのに、今はその影さえ見えなくなりつつあるのが切ないです。

確かに、小さな分岐点はいくつもあって、それを選び取ってきたのは義時たちなのですが、

光澄の首をはねた後に義時が政子に言った「我らはもう、かつての我らではないのです」という言葉と、

あの哀しそうな微笑みに胸を討たれました。

本来の自分・自分がどう思うか…という、ある意味での人間らしさは捨てて行かなければいけない。

これが頼朝の言う「人の世を治めるには鬼にならねばならぬ」なのでしょうか。

切なすぎますね…。

それに比べて義経は、戦が出来る事が嬉しくて堪らず、本能のままに突き進んでいるようです。

こちらも、ある意味での「天才」ですよね。

本編ラストで、金剛を抱き「父を許してくれ…」と涙を零す義時。このシーンは、日本中が泣いたのではないでしょうか?!

頼朝・義時・義経という性質の違う男達が織りなす政と戦いが、これから激化していくのかと思うとゾクゾクします

それにしても、BSで夜6時に視聴した時はこの展開を理解するのに時間がかかりました。

「見逃し配信」で何回も再視聴しないと解らない展開でしたね。

史実では詳細が分かっていない一条忠頼の謀反など三谷幸喜の脚本が光る第17話「助命と宿命」でした。

視聴者の感想。

まとめ。

2022年「鎌倉殿の13人」の時代は土地を奪うため、守るため武士たちは戦争を起してしました。

紛争はいつの世も起きるのですね。

現代の日本経済界社会においても、数年前にあった日産自動車の社内紛争もその一例でしょう。

熾烈な競争で組織の引き締めは現代でもあるのです。もちろん日本は法治国家なので、殺しあいはありません。

でも「適材適所の人事です」という大義でライバルに冷や飯を食わせることはあると思います。

ですので、源頼朝が生きていた時代も同じだったと思います。

頼朝は後白河法皇によって東国の経営権を認められますがライバルはまだ多くいました。

第15話「足固めの儀式」で殺された上総広常はその代表格でしょう。

広常を討つことで、自らへの求心力を高めようとしたのでしょう。

ライバルは殺さざるを得ない。それはたとえ兄弟でも同じ扱いであったようです。これは後に義時が受け継ぐことになるのです。

次回は第18話「壇ノ浦で舞った男」

ついに壇ノ浦の戦いです!「九朗殿は強すぎるんだ」という言葉に、浜辺に累々と横たわる屍。

頼朝の「奴を決して御所に入れてはならん」というのは、義経のことを言っているのでしょうか。

太陽の光の中、剣を振り翳す義経はまさに戦いの神。

顔中に返り血を浴びたまま、はりついたような笑顔で、瞬きもせずに「この先私は誰と戦えばよいのだ」と言う義経からは、狂気と哀しさが透けて見えました。

源平合戦を語る上で絶対に外せない壇ノ浦で、一体どんなドラマが生まれるのか…!期待MAXですね!!

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